【本日発売!】 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』――世界観なんてどうでもいい!少年が立ち上がる“葛藤”を描く物語!

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哀しい記憶が、少年をまたひとつ強くする。

ブログ代表
こんにちわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。

個人的には、

1994年に放映された旧作・『新世紀エヴァンゲリオン』は未完成の作品だと思っています。これは、例の25話・26話のことを言っているのではなく、制作発表当初に、庵野監督自身の所信表明にある「閉塞したアニメを取り巻く環境に風穴を開ける」ためにやろうとしていたことを果たせなかった、という意味です。

んー、ちょっと語弊がありますね。

もう少し砕いて言うと、旧作は閉塞した業界に結果として風穴は開けたものの、それは制作陣が考えていたカタチとは異なったものだったという感じですね。

もっと言うならば、旧作は制作陣が予想以上に肥大化していった“作品”に翻弄され、視聴者に当初考えていた“収束のカタチ”を納得をもって伝えることができなかった作品。まさに、現実においてエヴァ暴走が起きてしまった作品だと捉えています。

そう考えると、TV版最終話の「世界の中心でアイを叫んだけもの」とは、作品自体のことを伝えているようでなんとも皮肉な気もしますね。

主人公の碇シンジは、90年代という時代を上手くとらえた少年像だったと思います。繊細な心を持ち、他人と壁をつくっている少年。かつて『機動戦士ガンダム』は、兵器に乗って戦う恐怖と対峙する少年を描きました。新しいロボットアニメを目指すならば、エヴァはガンダムより先を進んだ主人公の物語を描く必要があったと考えられます。周囲の複雑かつ緊急的な状況の中で、碇シンジがどういう“折り合い”、“決断”をするか。そう考えていくと、TV版25話と26話は予定通りの終わり方だったのでしょう。しかし、彼の葛藤とそこからの解放が、視聴者を納得させるものだったとは思えません。そして同時に、碇シンジの心の決着よりも、最終決戦に向けた周囲の状況のほうが魅力的になってしまったことこそが、旧作の不幸だったのでしょう。

旧劇場版「Air/まごころを君に」を、私は物語の真の完結編とは感じられません。あれは、作品から生まれてしまったブームに決着をつけるための作品であり、意図的に哲学的な小難しいそうなことを入れて、着地させただけの終着点です。まあ、面白いんですけどね。結果、商業的にも作品の区切りとしても成功だったと思うのですが、作品の行きつくエンドとしては最低でした。この結末によって、エヴァは斬新さだけの作品になってしまったのですから。

新世紀エヴァンゲリオンは神話になりました。

それから10年。再び、庵野監督はかつては放り投げることでしか終わらせられなかったエヴァと再び向き合う決断をします。本当に描きたかった新境地を切り拓くロボットアニメとしてのエヴァンゲリオン。それが、新劇場版だったのは言うまでもありません。

新劇場版に対する庵野監督の所信表明は、こうでした。

「エヴァンゲリオン」という映像作品は、様々な願いで作られています。

自分の正直な気分というものをフィルムに定着させたいという願い。アニメーション映像が持っているイメージの具現化、表現の多様さ、原始的な感情に触れる、本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたいという願い。疲弊する閉塞感を打破したいという願い。現実世界で生きていく心の強さを持ち続けたい、という願い。今一度、これらの願いを具現化したいという願い。

そのために今、我々が出来るベストな方法がエヴァンゲリオン再映画化でした。10年以上昔のタイトルをなぜ今更、とも思います。エヴァはもう古い、 とも感じます。しかし、この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。

閉じて停滞した現代には技術論ではなく、志を示すことが大切だと思います。本来アニメーションを支えるファン層であるべき中高生のアニメ離れが加速していく中、彼らに向けた作品が必要だと感じます。現状のアニメーションの役に少しでも立ちたいと考え、再びこのタイトル作品に触れることを決心しました。

映像制作者として、改めて気分を一新した現代版のエヴァンゲリオン世界を構築する。このために古巣ガイナックスではなく自身で製作会社と制作スタジオを立ち上げ、初心からの再出発としました。幸いにも旧作からのスタッフ、新たに参入してくれるスタッフと素晴らしい面々が集結しつつあります。旧作以上の作品を作っている実感がわいてきます。

「エヴァ」はくり返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。わずかでも前に進もうとする、意思の話です。曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。

最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します。

で、『新劇場版:Q』である。

まさに『Q:QUICKING』の名に恥じない“急”展開の新劇場版第三部。よく知っている物語から始まった『序』、旧作をいい意味でぶち壊した『破』につづき、時系列は一気に15年後に飛んで荒廃しきった星から絶望的な状況から幕を開けます。そこには、私たちが知っているエヴァの残しょうはほとんどありません。まったく新しいエヴァが『Q』からはじまります。

本作をどう捉えるか。

非常に悩ましい問題です。さまざまなサイトで考察が述べられていますが、それを見るのは楽しいのですが、個人的にはループ説や別ルート説は賛同できません。理由はオタクくさいから(笑)。庵野監督は、そんな小さいところで勝負はしないんじゃないかというのが、個人的な感想です。もちろん、異論は認めますよ。

Qにおいて、キーとなるのは【渚カヲル】です。

「エヴァはくり返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。わずかでも前に進もうとする、意思の話です」。所信表明にある通り、渚カヲルは、絶望と孤独のふちに立たされた碇シンジがふたたび立ち上がるための心の支えとなる“ともだち”。そし
て、さらに深い絶望を味あわせる存在でもあります。旧作でも同様のポジションですが、登場するのはたった一話だけ。本来ならば、もっとクローズアップされてもいいキャラクターでした。

新劇場版をずっと見ていると、『序』でも、『破』でも、『Q』でも、碇シンジくんが立ち上がるシーンが描かれていることに気がつくでしょう。旧作では周囲の状況に翻弄されるだけで愚痴ばかり言っていた少年は、新劇場版ではしっかりした意志を持ち、自分の置かれた状況に抗議までしている。そんな碇シンジが本当に立ち上がれなくなるほどの試練を描いているのが『Q』なのです。

圧倒的な絶望に落とされるシンジ。でも、彼は一人ではありませんでした。損得に関係なく、彼に手を差し伸べる人間はまだいるのです。

完結編となるシンエヴァンゲリオンにおいて、碇シンジは再び立ち上がるでしょう、そして、私たちの前に新世紀のロボットアニメの主人公の姿を見せてくれるはずです。そしてそれこそが、1994年に実現できなかったエヴァの終着点のはずです。

人は立ち上がるたびに強さを身につけていくもの。その前段階の葛藤を描く作品として、私は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を評価したいと思います。

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