
これは、大人のファイナルファンタジー。
こんにちわ、レトゲームレイダース/ジョーンズ博士です。
今回発掘した作品は、スクウェアが1988年12月に発売したファミリーコンピュータ用ソフト、『ファイナルファンタジーII』です。FF2は、シリーズ黎明期を築いた立役者であり、前作から一新された本作のMAPデザインは、『サガ』シリーズ、『聖剣伝説』シリーズにも受け継がれるなど、スクウェアの黄金時代の作品群に多大な影響を及ぼした作品でもありました。
≪物語≫
はるか彼方の世界において、長くつづいた平和は終わりを告げた。
辺境の小国、パラメキア帝国の皇帝マティウスが、地獄の悪魔と盟約を結び、全世界に宣戦を布告したのだ。これに対し、世界のリーダー的存在であったフィン王国は、各国と力をあわせ、同盟軍を設立。これに対抗しようとしたるところが、パラメキア皇帝はその魔力によって強大な魔物の大軍を手中にしており、同盟軍は各戦線において敗退に敗退を重ねることになる。そしてついに、フィン城における決戦において、ボーゲン男爵の裏切りもあり、同盟軍は世紀の大敗北を喫することに。ついに、フィン城も帝国の手に落ちてしまう。世界をほぼ手中に収めたパラメキア皇帝によって、同盟軍は反乱軍という烙印を押されてしまい、人々は辺境の町アルテアまで撤退を余儀なくされるのだった。
フィンの町に住む青年フリオニール、レオンハルト、マリア、ガイの四人は、帝国の兵士たちによって両親を殺され、生き残るために真夜中の森を必死に駆けていた。しかし、帝国は追跡の手を緩めることなく、4人は手練れの帝国騎士団を相手に絶望的な戦いを強いられることとなった――!
瀕死の重傷を負った3人を助けたのは、フィンの王女ヒルダだった。彼女は同盟国であるカシュオーンの王子スコット婚約したばかりであったが、父であるフィン国王が先の戦いで重傷を負ったこと、香役者であり次期国王であったスコットが行方不明になったことにより、慣れない身でありながら、反乱軍のリーダーとして立ち上がらなければならない立場にあった。しかし、そんな彼女率いる反乱軍に未来はないと、感想を抱く者たちも少なくなかったのである。
フリオニールは恋をした。憧れの存在であり、命の恩人であるヒルダに。悲しみにその身を潰されそうになりながらも、人々を導いていく王家の者としての責務を果たすために、気丈に振舞うヒルダのために、何か力になりたいと思ったのだ。「王女、俺たちを反乱軍に入れてください!」。そんな彼の言葉はヒルダに届かなかった。そしてフリオニールは決意する。いまや帝国の支配下にあるフィンの町に潜入し、反乱軍の決起のために必要な情報を手に入れようと。そんな彼の心情に気づき、心を痛めるマリア。
世界は暗黒に包まれようとしていた。しかし、辺境の町の一人の青年の胸にともった、はかなく小さな、勇気という名の炎が1つ、2つ、3つ。今はまだとても小さな灯りに過ぎないが、やがてこの炎が世界を覆う闇を照らす業火へと変わっていくことに、世界はまだ気がついていない。
前作の『ファイナルファンタジー』は、クリスタルの光を取り戻す探求の旅をテーマにしたハイ・ファンタジーという体裁を取りながら、オーバーテクノロジーによる化学兵器の数々、タイムパラドックスといったSF的な要素をたぶんに含んだ意欲作でした。それにつづく本作においてもスクウェアの開拓精神は存分に発揮されており、コンシューマゲームでは初ともいえる「戦争をテーマにしたRPG」を作り出したのです。
本作の大きな特徴は、「クエスト解決型RPG」という点でしょう。
『ウルティマ』や『ドラゴンクエスト』を代表するRPGにおいて、ストーリーとはプレーヤーを次の目的地に誘導するための「道標」でした。目的についたら次の目的地が明らかになる。このくり返しにより、広大なMAPすべてを旅させる仕組みになっていたのです。
しかし、本作はちょっと異なります。司令部よりクエストの指令を受け、その地に赴いてミッションを遂行し、また司令部に返ってくる。このくり返しです。これは、古くはテーブルトークRPGで語られている冒険者が酒場で依頼を受けて洞窟に赴き、怪物を倒してまた酒場に戻ってくるという、ファンタジーの伝統ともいえる展開。しかし、コンピュータRPGでこの形式を取ったのは、先進的でした。
そして、このスタイルによって、司令部の存在感が増し、各地でのミッション遂行というのが実に戦争らしく、『ファイナルファンタジーII』の独創的な世界観を創り出しているのです。
物語は、フリオニールたちの反戦軍加入からはじまり、彼らの活躍によって戦線が巻き返されていく様子が描かれていきます。
▼ フィンの町、潜入作戦 (スコットの死)
▼ 魔法金属ミスリルの探索 (ミンウが仲間になる)
▼ 大戦艦、破壊命令 (ヨーゼフの死)
▼ サラマンド、女神のベル探索 (ヨーゼフの死)
▼ カシュオーン、太陽の炎探索 (ゴードンが仲間になる)
▼ 第二次大戦艦、破壊命令
▼ 伝説の竜騎士の探索 (女海賊レイラが仲間になる)
▼ 王女の誘惑
▼ パラメキア潜入、ヒルダ救出作戦
▼ フィン奪回作戦
▼ 究極魔法アルテマ探索 (竜騎士リチャードが仲間になる)
▼ 竜巻への潜入、皇帝との対決
▼ 第二の皇帝誕生、パラメキア侵攻 (レオンハルトが復帰する)
▼ 異界の門ジェイド探索
▼ 万魔殿パンデモニウムの決戦
本作を語る上で欠かせない要素は、レベル制を廃止した成長システムでも、味方の同士討ちも可能な戦闘でも、ナーシー・ジベリがMacっぽく作ったアイテム欄でもありません。個性あふれる人間ドラマです。
「個性あふれる人間ドラマ」というと、ドット絵のキャラクターが画面上でいろいろと演技をして、決めセリフっぽいものを吐くB級人形劇を思い浮かべるかもしれません。でもご安心しください。本作はFF6以降のシリーズやテイルズ・オブ~シリーズのように、ライトノベル級もしくはフジテレビのTVドラマ級の低俗な描き方(※注)はしません。セリフの端々、ちょっとした演出に、実に人間くさい要素が盛り込まれているのです。
※注について
FF6以降のシリーズやテイルズ・オブシリーズに顕著な人形劇は、あれはあれで手の込んだことをしていると評価しています。が、その一方で、人形劇の完成度が高くなればなるほどゲームの中の世界での完結度合いが増し、プレーヤーはまさに観賞する姿勢が強くなるのも事実です。今日のゲームにおいて使用されているRPGはすでにジャンルを示す言葉として定着していますが、もともとの意味であるロールプレイング(役を演じる)という点からすると、あまりに観賞物と化するのはどうかというのが、私の意見です。そのため、あまり露骨に描きすぎずに、ユーザー側から「これってこういうことなんじゃない?」と思わせる要素を残している「ユーザー参加型」なスタンスもいいよね。という話です。
フジテレビのドラマについては、すべての作品がとはいいませんが、9割の作品が「視聴者への分かりやすさ」を優先して、人間心理の複雑な動きなどといった描写を避けるバカ製造機のようなドラマのことを指します。カンタンに言うと、浅く薄い内容のドラマのことです。悪口に聞こえてしまうかもしれませんがそれは誤解というもの。だって事実なんですから(笑)。
さて、本作の主人公であるフリオニール。
彼は戦争で両親を亡くし、故郷も失い、命もなくしかけました。そんな彼が戦いに身を投じるのは、最初は復讐心から。しかし、それはいつしか変わっていきます。彼が胸に抱きはじめるのは、王女ヒルダへの恋。いつしか彼は、愛した女のために英雄になっていくのです。そんな彼の心情は、フィン城下町の酒場でヒルダの婚約者であるスコットから言伝を頼まれた「愛している」というメッセージを、わざとヒルダに伝えないという点からも明らかです。さらによほど周囲にばればれな態度だったせいか、その想いをラミアクイーンに利用されてあわや全裸のまま殺される寸前までいくという恩所の誘惑事件にも繋がるのです。青々しいライトノベルの色恋沙汰よりも生々しくて私は好きです。ちなみに、角川文庫から発売された小説版(絶版)では、もう少し、王族への怒りと、同年代の女性への好奇心と、恋心に揺れる、人間・フリオニールが描かれていています。
本作のヒロインじゃないかと私が推すのが、女海賊レイラです。
彼女は、父親の跡を継いで、荒くれ者たちを率いる海賊のカシラとして君臨します。色恋沙汰よりとも無縁な彼女の前に現れたのが、フリオニールでした。まったく自分とは住む世界が違い、そして大儀のために剣を振るう彼に、レイラは一目惚れしてしまいます。もちろん、ゲーム中にこれを示す直接的な表現はありません。しかし、どう考えても、彼女がフリオニールに特別な感情を抱かなくては、海賊の命ともいえる船を無償で貸し出す&キケンなミッションに自分も協力するという行動はあり得ないのです。そんな彼女の片思いは、早い段階で砕け散ってしまいます。フリオニールが王女に恋をしていることを知ってしまうのです。「もともと自分とは住む世界が違う」と分かっている聡明な彼女は、直接表に感情を出すことはしません。影でフリオニールの役に立とうと思うのです。海賊たちのカシラとしてワガママに振舞ってきた彼女らしからぬ態度。それこそが、彼女が誰にも見せたことがない「女として本気の恋」である証だと私は感じてキュンキュンするわけです。このあたりの心情は、小説版だともう少しきちんと描かれています。王女の寝室に呼ばれたフリオニールがラミアクイーンに襲われた際、真っ先にかけつけたのは、一緒に旅をつづけてきたマリアでもガイでもなく、レイラでした。気になって様子をうかがいに来たのでしょうか。ともあれ、「気をつけな!女は怖いんだよ!」というこのときのセリフを放ったときのレイラの心情を考えると、それだけでなんとも切ない気持ちになります。
一番のお気に入りは、飛空艇乗りのシドでしょう。
彼は、世界唯一の飛空艇を所持している男であり、金にうるさく、どこまでもクール。「反乱軍も、帝国軍も、関係ない。金さえ払ってくれればどこにでも連れて行ってやるぜ」という思想の持ち主です。そんな彼は、戦争が激しさを増してもまったく態度を変えません。変えないのですが、皇帝がつくりだした「竜巻」によって、世界各国の町が破壊され尽くされていく中、ついに彼自身も大怪我を負ってしまいます。彼ははじめてフリオニールたちを自分から呼ぶと、飛空艇を彼らに貸すことを許すのです。パラメキア皇帝のやることは許せねぇ。絶対に許さねぇ。だからお前たちに飛空艇を貸してやるから、あいつにひと泡ふかせてこい。と、ハッパをかけるのでした。しかし、もともと皮肉屋なのでこうも付け加えます。「いいか? 貸すだけだからな。傷ひとつ付けずにきちんと返せよ!」。最後まで憎まれ口を吐いて、そして息を引き取るのでした。彼の考え方からして、飛空艇を誰に譲るという選択肢はなかった。そうなるとしても、自分が気に入った奴じゃないとゼッタイに嫌だ。シドのもとで働く従業員たちは、金にうるさく、性格はあんなだけど、彼は誰よりも飛空艇を愛しているということを語っています。そんな男が、最後の最後(本当にゲームの終盤)で、飛空艇を託す相手としてフリオニールを選んだ、という熱いドラマが展開されるのでした。「シド=飛空艇」という印象を決定付け、その後のシリーズにもシドは飛空艇に関わる人物として『火の鳥』の猿田彦のように何人も出てくるわけですが、個人的には本作のシドが一番カッコイイと思います。
本作は実に特徴的なゲームシステムをいくつも搭載しています。代表的なものは、経験値によるレベルアップ制を廃止し、使った頻度で攻撃力や防御力が上がっていく「熟練度システム」でしょう。
「熟練度システム」とは、各キャラクターには、「剣」、「斧」、「弓」といった具合に使用するものに対する熟練度(いかにそれに使い慣れているか)というパラメータのこと。例えば、「剣」を使い続けていると「剣」の熟練度があがっていき、武器本来の攻撃力に、熟練度による「使いこなし」が追加され、剣の達人としての攻撃力が備わる…といった具合になります。
ゲームが進んで、強力な「斧」の武器が手に入るとしましょう。フツウのゲームなら迷わず主力キャラに装備させます。が、そのキャラが「斧」の熟練度が低かったとしたら、今まで使用していた「剣」よりも低い攻撃力となってしまうのです。なぜなら、使い慣れていない武器だから。これが、「熟練度システム」です。この影響は「盾」や「魔法」にも適応され、盾防御による防御力アップやファイアやケアルの効果を高めることになります。
そこに大きく影響してくるのが、パーティの4人目がストーリーの展開によって変わること。
最初に仲間になるミンウは白魔法のエキスパート。よって、パーティの回復役として重宝します。が、次に仲間になるヨーゼフは素手の攻撃を得意とする武闘派ですから、誰かが回復役にならなければなりません。女海賊レイラや竜騎士リチャードのように攻撃も魔法もいけるオールラウンダーもいますが、最初はくそ弱い大器晩成型のゴードンが仲間になった際には育つまで持たせる采配が求められます。
加わるメンバーによって、各キャラクターの役割は変わり、それによってその都度育てていくスキルも変わっていく。そんなフレキシブルさが求められます。
とはいえ、「育てるのが面倒くさいなぁ。」と思うのは早計というもの。
すべてのスキルを上げることはできますが、上げる必要はありません。「自分はこのキャラをどう育てたい」と思うままに育てればいいのです。
例えば、主人公の仲間であるガイは、「知性」も「精神」も低いため、魔法の習得には向いていません。体力が上がりやすく、武器の使い方に長けているので、オーソドックスに考えれば、魔法の熟練は諦めてパーティの盾役として育てることになります。しかし、そんなガイにケアルだけでも覚えさせれば、盾になりつつ、自分で回復も行なえるキャラに。
主人公の仲間であるマリアは、HPが低く、「知性」や「精神」が高いため、弓を装備させて後列で魔法要員となることが多いですが、無理やりHPを上げて、前列で両手に剣を持たせたアタッカーにすることだって可能です。その場合、主人公であるフリオニールが後列に下がって、回復と魔法攻撃を担当することになりそうですが…。
このように、
ストーリーは一本道として決まっているけれども、その道のりをどうやってで乗り切っていくかはプレーヤーの勝手…というくらいの戦術の自由さが本作の大きな特徴です。
前作『ファイナルファンタジー』も、複数回の周回プレイを想定しており、パーティを帰ることで戦闘と育成にドラマ性を出していましたが、本作はキャラクターのクラスを固定せずにさらに要素を分解した熟練度システムによって、より「今度はこういう風に育ててみたらどうなるだろう?」と周回プレイの面白さ、「if…」プレイの深みが増しています。
このスタイルは、次の作品である『III』に受け継がれ、ジョブチェンジによる戦術性が強化された『V』、パーティ編成で同じことを目指した『VI』・『VII』・『IX』、キャラクターの成長カスタマイズの方向に進んだ『VIII』・『X』・『XII』というように、シリーズの方向性を決定付けたと言っても過言ではありません。
ややネタバレになってしまいますが、主人公たちは行方不明となっていたマリアの兄・レオンハルトと意外なカタチで再会を果たすことになります。結果として協力することになりますが、それは共通の敵である「皇帝」がいるからに他ならず、フリオニールとレオンハルトの間には決定的なミゾが生まれていることは隠せません。それこそ、『タクティクスオウガ』におけるデニムとヴァイスくらい、正反対の道を進んでいる二人。エンディング後に袂を分かつことは用意に想像できます。
何が二人をそんな風にしてしまったのか。本作では語られません。
しかし、語らずにはいられない魅力が、この作品のキャラクターたちにはあります。おそらくレオンハルトは、以前よりフリオニールに対して拭えない劣等感を持っていた。しかし、本人もそれには気がつかなかった。しかし、フィン城が落城し、逃亡する最中に捕えられた彼は、“見世物”として闘技場で戦う剣闘士にされる。力がなければ生き残れない。しかし、力があれば何でも手に入る。そんな環境の中で彼は自分の進むべき道を見つけ、やがて過去を捨て去るかのように、漆黒の鎧に身を包むようになる。自分の中に宿る“闇”を味方につけることで、彼はチカラを得たのだ。そして、劣等感から生まれる上昇志向は、やがて皇帝の座をも狙うようになっていく…とか。語られないからこそ、そこに想いを馳せていく、そんな楽しみ方だってできます。
最後に、反乱軍の合言葉である「のばら」について。
「のばら」は、フィン王家の紋章にちなんだものという設定がありますが、その花言葉は、「悲しみから立ち上がる」。まさに、ヒルダそのものを表しているのでした。いろんなところで、「実にシックで、上品で、大人のRPGだなぁ」と、最近気がつきました。