【名作発掘】 『ファイナルファンタジーX』─―世界の法則と戦うのは、出会うはずのなかった2人の主人公。

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FF10

運命の螺旋にとらわれる『I』から14年。
FFはついに運命の螺旋を解き放つ物語へ。


ブログ代表
こんにちわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。

「物語を見せるRPG」として、『ファイナルファンタジーX』はシリーズ最高傑作といえるでしょう。とはいえ、私は「PS2の機能をフル活用したうんぬん」といった話はしません。私が高く評価しているのは、

★運命の螺旋にとらわれる光の戦士の物語である『I』に対して、
 本作は同じテーマを扱った本当の意味での原点回帰といえる作品であること。

★ティーダとユウナという主人公が二人いる二重構造の物語であること。
 ザナルカンドからゲームがはじまるのは、あそこがティーダが主役になるポイントだから。

★世界観が文化に至るまでていねいに作りこまれており、
 異世界から来たという設定のティーダとプレーヤーを同じ視点にしている工夫点。

★ゲーム展開のプロセスが、経験値上げやキャラ成長よりも、
 「旅の道中を描く」というところに、これまでのゲームにない完成度を誇っているため。

★いつの間にか、ユウナたちのことが本当に好きになってしまって、
 「続きが見たい」と心から思えるゲームだった点。

こんなところです。

クリスタル  「二重螺旋」の物語。
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『ファイナルファンタジーX』は、ふざけた子供だましのストーリーばかりを描いてきたFFにしては珍しく、本気で物語を描こうとした感があります(個人的な感想)。FFシリーズ初のPS2用RPGということで、グラフィック面が強化するのは分かりきっていました。「いつものFFが、PS2でこんなにも映えました」で終わることなく、「こんなストーリーまでも描けるんだぜ」と挑戦しているところを、私は高く評価しています。

『ファイナルファンタジーX』は二つの物語で構成されています。

主人公はティーダです。
彼はブリッツボールの試合の後に、突如、故郷であるザナルカンドを襲った災厄“シン”によって、まったく見知らぬ土地へ運ばれます。そこは、「スピラ」と呼ばれる世界。この世界にも“シン”は存在し、世界中に壊滅的な被害をもたらしていました。しかし、打ち手が無いわけではありません。世界を救うために大召喚魔法が必要であり、それを体得するために召喚士が旅をするという慣わしがあったのです。そこでティーダは召喚士であるユウナと出会い、彼女を旅の中で守るガードとなります。

主人公であったはずのティーダは、異世界で知り合ったユウナが主人公の物語の登場人物の一人という位置づけとなります。『おさるのジョージ』の主人公ジョージが『桃太郎』の世界に迷い込んでお供の猿になる…といえば分かりやすいでしょうか。

この脇役視点で進む見せ方が秀逸です。大きな責任やプレッシャーを背負うことなく、ただみんなと同じ方向に進めばいい。主人公としてストーリーを追いかける必要がないため、気軽にスピラという世界を観光気分で見てまわることができます。スピラの世界を楽しむことができるというところに仕掛けがあるのです。

従来のRPGならばフィールド画面で歩きながら敵を倒して経験値を稼ぐという作業になりがちなところを、マップを街の中と同じように描き、等身大のキャラが等身大の世界を進むという見せ方をしているのです。世界を見せ、道中を見せる。これは、ユウナの巡礼の旅がどんなものであるかを伝えると同時に、スピラへの愛着をプレーヤーに育んでいきます。

この方法を使っているからこそ、ザナルカンドに到着した際には「ようやくここまで来た」という達成感があり、ユウナが語る世界のために命を投げ打つ覚悟の重さを、プレーヤーは共感することができるのです。

廃墟ザナルカンドは、本作において重要な意味を持ちます。そこで知らされる驚愕の事実によって、ユウナは絶望に打ちのめされます。ユウナをずっと近くで見てきたからこそ、ここでするティーダのある決意には説得力があるのです。主役交替です。ユウナの夢を叶えるために、ティーダは誰にも言っていない自分だけが知るある事実を隠して、ユウナの手を取って前に進んでいきます。

オープニングシーンでザナルカンドでの黄昏が描かれているのは、ここが主人公交替の場であり、ティーダの本当の物語のはじまりを意味するシーンだからに他なりません。

“シン”は、「宇宙の 法則が 乱れる」を地で行なう存在です。世界の法則が乱れたからこそ、ティーダとユウナは出会うことになりました。世界の中で“イレギュラー”であるティーダは、世界の法則を崩す“切り札”にもなり得たのです。

クリスタル  運命の螺旋を破壊する、という物語
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ファイナルファンタジーというシリーズの致命的な欠点は、「ラスボスの圧倒的な強さの伝わりにくさ」です。この傾向は、『IV』からはじまり、『IX』まで続いていたと私は思っています。

絶対暗黒物質だの、無のチカラだの、三柱神のチカラだの、人間とジェノヴァの混血だの、時間を支配する魔女だの、突然出てきた破壊の意志だの。いや、圧倒的なチカラがある演出はしているのです。それはイベント戦闘だったり、人形劇だったり、PSになってからはムービーが主な役割となりました。『VIII』は頑張っていたのですが、やっぱり演出と説明不足だったかな。

「相手にするのは相当分が悪いぜ」と思わせるだけの怨敵を、用意できていなかったと言えます。

その点で、『X』は革新的でした。“シン”の存在は物語の序盤から登場し、ゴジラを彷彿とさせるその圧倒的な存在感と破壊力を私たちにアピー
ルしてきます。さらに、その“シン”という存在自体が、スピラという世界を構成する要素のひとつであり、この要素を除外する手段がないときました。ただ倒すべき敵としてゲームに登場させるのではなく、物語に上手く取り入れているところがポイントです。

後半になると、封印されていた伝説の武器や魔法が解禁になったり、ムービーではあれだけ強かった敵が戦闘になるとただの敵になり下がるということもありません。“シン”を倒すには、絡み合った世界の法則の糸をほどく必要があり、そのための手段をラストバトルでは行なわなければなりません。そして、最後は力と力による“決戦”になるわけですが、その戦いの先に待っている結果を覚悟するティーダは、非常にカッコイイと思います。

語尾が「~ッス」で体育会系バカでとっつきにくそうだった主人公を、私たちは彼らと同じ時間を過ごした巡礼の旅によって、本当に理解していくのです。

奇しくも、プレイステーション2というグラフィック能力に秀でたハード(当時の話)ではじまった新しいFFが、運命の輪に取りこまれて永遠に調和と混沌の間で戦い続ける使命を負ってしまう光の4戦士の物語である初代FFのなし得なかった、運命の輪に打ち勝つ物語である点も注目すべきでしょう。脱・これまでのFFを宣言するようでもあり、その後につづくシリーズの姿に何を見るかは、一人ひとりの判断にお任せします。

“たまには、思い出してあげてください”。

まさに、そのセリフが似合う本作は、HDリマスターになって復活します。思い出すのもラクになりましたね。そして物語は、再び「ユウナの物語」となり、やがて「再びユウナとティーダの物語」につながる『X-2』へと続いていきます。

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