
勇者はひとり征く。
この記事は、『ドラゴンクエストXI』を最大限に楽しむために、シリーズの変遷を回想していくシリーズ記事です。再掲載となります。
こんばんは、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。
みなさん、ドラゴンクエスト11は待ち遠しいです?
私はずっとローテンションだったのですが、このシリーズをふり返る企画を進めるにあたって、ドラゴンクエストを『I』からやり直しているのですが(いまは『II』のロンダルキアまで来ました)、重大なことに気がついて、勇者として覚醒しました。
そのあたりの話は、このシリーズの後半でお話したいと思うのですが、今回は4回目。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』の話です。
RPGは、物語を体験する時代へ。
『ドラゴンクエストIV』は、もともと作られる予定のなかった作品でした。『ドラゴンクエスト』自体が「ファミコン少年少女たちにRPGの面白さを伝えること」を目的としていたことを考えると、その使命は『III』で果たしたと言えます。
しかし、「触れたら最後、日本全国ハルマゲドン」的な『ドラゴンクエストIII』は完全に社会現象にまでなってしまい、伝道師だったドラクエは巨大ビジネスの奔流に飲み込まれてしまい、簡単にやめられる状況ではなくなってしまいました。
かくして『ドラゴンクエスト』は新たな旅をスタートさせることになります。
『I』~『III』までが、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』といった古典コンピューターRPGの模倣・オマージュ要素が強かったのに対して、コンピュータRPGの新しい可能性を広げようと、意欲的に新しいことに挑戦していくのです。
この観点で見ていくと、『IV』~『VI』のいわゆる「天空編」は、『I』~『III』の「勇者ロト編」よりも面白いと個人的には思っています。
本作『導かれし者たち』で導入された新しい要素は、ざっくり言えば以下の通りです。
・5章構成の物語
・総勢8名の個性豊かな仲間たち
・人工知能AIによる戦闘
注目したいのは、「5章構成」。
『ドラゴンクエストIV』は、「第一章 王宮の戦士たち」、「第二章 おてんば姫の冒険」、「第三章 武器屋トルネコ」、「第四章 モンバーバラの姉妹」、「第五章 導かれし者たち」の五章で構成されています。
第一章から第四章までは、”勇者の仲間となる者たちが勇者をさがす旅に出るまでの話”であり、第五章は、”これまで同様に勇者が魔王を倒す冒険”という構成でした。
そう、前作までと比べると「ん?」と思わせる”からめ手”で攻めてきているのです。
ゲームブログでの本作紹介記事では、
・5章構成の物語
・総勢8名の個性豊かな仲間たち
・人工知能AIによる戦闘
これらは独立した『IV』の特徴として紹介されることが多いのですが、これらは密接にリンクしており、本作が目指す目的に寄与していると、私は考えています。
話を五章構成に戻します。
『ドラゴンクエストIV』が行なった五章構成には、以下のような役割があったと推測されます。
(1)導かれし者たちの紹介
(2)『IV』からプレイする人向けのチュートリアル
(3)ショートストーリー型RPGの可能性
(4)複数視点を持つことで物語に深みを出す
(5)時間経過を演出することで物語に深みを出す
(1)に関しては言うまでもありません。(2)は、第一章が一人旅。第二章が3人パーティといった具合に、『IV』からプレイする人向けの段階的なRPGレクチャー仕様になっています。
問題は(3)~(5)。以上のことから言えるのは、「『ドラゴンクエストIV』は物語に特化した作品を目指していた」ということです。
既存RPG(ドラクエの弱点)として、「主人公=プレーヤー」であるがゆえに、「プレーヤー視点(勇者視点)でしか物語を伝えることができない」というのがありました。本作ではそれをぶち壊しに行っているのです。
例えば、勇者であれば簡単に王様への謁見が許されていましたが、本作では平民出身者の主人公たちも大勢おり、彼ら・彼女たちは城に入ることもままなりません。当然、街の人たちが語る話も、勇者様と武器屋や踊り子では異なってくるわけで。
そんな「街の別の一面を見せる」という方法は、前作でも「昼」と「夜」という分け方で行なっていたのですが、本作はまた別の切り口を出したというわけです。
大切なのは、”ココ”!
物事は「視点を変えれば、別の真実が浮かんでくる」ということを、『ドラゴンクエスト』は『IV』の時点ですでに導入しているという点です。
「良い勇者が悪い魔王を倒す」という子供向けの勧善懲悪をドラクエシリーズの特徴と考えている方たちは間違っています。ドラクエはそんなスタンスを随分前に捨てているのです。
ここに注目して本作をプレイしてみると、街の人たちのウワサ話が俄然面白くなってきます。真実が語られていることなんてほとんどなく、自分視点と憶測だけで語られていることばかり。RPGにおいて町の人たちは主人公の行先を伝えることが役割と思われていましたが、本作では別の役割も与えられているのです。
戦士ライアンにも彼なりの正義があり、王女アリーナにも譲れないものがある。武器屋トルネコにも大切にしているものがあり、暗殺を企てるモンバーバラの姉妹にも果たすべき目的がある。そして、天空の勇者にも。
さらに言えば、導かれし者たちと対峙するピサロにも彼なりの正義がある。そのキッカケはとても純粋なものであり、共感できるものでもある。
それでも、お互いの立場が、種族に対する偏見が、拡大していく憎悪の連鎖が、本来理解し合えるはずの二人を殺し合わなければならない状況へと追い込んでいく…。
本当に立ち向かわなければならない存在とは何なのか。
『ドラゴンクエストIV』が勇者だけの視点の物語であったなら、こんなテーマは見えてこなかったでしょう。
五章構成とは実はかなりリスクのある決断だったと思います。ある程度まで育てたキャラクターを捨てさせ、低レベルのキャラクターをまいイチから育てさせる。これって、プレーヤーにかなりのストレスを与えることになりかねませんから。
それでも実行したところに、多面性のある物語を作りたいという想いを強く感じます。
人工知能AIは、他人をつくるための装置
「導かれし者たちを1人ずつ追体験させることで、さまざまな視点をプレーヤーに持たせる」ということを行ないながら、同時に第五章は「プレーヤー=勇者」としてロールプレイしてほしい。ここには大きな矛盾があります。
それを実現させたのが、人工知能AIの導入だったのかもしれません。
人工知能AIは、第五章から導入される新機能であり、戦闘の方向性を作戦で伝えておけば、仲間たちがどんな戦い方をするか、勝手に選択してくれるというもの。
ところが、この人工知能ですが、ちょっとアホなので、歴戦の強者であるこちらからすると、あり得ない戦闘中の選択をします。いろいろ試して学習していくのが人工知能だからです。
正直いえば、こんな機能はいらなくて、自分で仲間分のコマンド入力をした方が効率的な戦闘ができます。
このシステムの導入によって、第五章の勇者(プレーヤー)は「思い通りに行かないプレイ」を強要されることになります。この点を本作のマイナス点とあげる方もいます。
しかし、この「かつてのプレイキャラクターたちを他人にする」という機能によって、これまで第一章から第四章までの各キャラクターの視点を持つプレーヤーに、第五章の視点は唯一指令が許されるプレーヤーだと思わせる荒業とも取れるわけです。
また、
前述したとおり、本作のテーマに「仲間」があるのは間違いありません。その仲間をただ人数が増えた戦力として提示するのではなく、あえて思い通りに行かない存在にすることで、プレーヤーとは異なる異物と感じさせることで、逆にリアリティのある「仲間」を感じさせようとした、そんな思惑が読み取れます。
今日、主人公と旅を共にする仲間が多い日本製RPGは数多くありますが、このような先進的な工夫をしている作品があるでしょうか。
これこそが、ドラゴンクエストのドラゴンクエストたる挑戦。やっぱりスゴイなぁ…と思うわけです。
そんな新境地に突入したドラクエは、次回作『天空の花嫁』でさらなる次元への挑戦を試みます。それはまた別の機会に。
=注意=
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