シリーズをふり返ってスーパーハイテンションにしておこう⑥ 幻の大地編

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ドラゴンクエスト06

テーマは自分探し。
ドラクエも自分探し。
 

この記事は、『ドラゴンクエストXI』を最大限に楽しむために、シリーズの変遷を回想していくシリーズ記事です。再掲載となります。




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こんばんは、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。

さて、今回は6作目、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』の話になります。キャッチコピーは「DQを超えるのはDQだけ」。迷いに迷った前作は新しいRPGの可能性を提示したものの、”挑戦者”である『ファイナルファンタジーV』に完全に持って行かれてしまいました。

スーパーファミコンの性能を活かした華麗なグラフィック、多彩なジョブとアビリティ、ドラマチックなストーリー…。『ファイナルファンタジーV』に比べて、『ドラゴンクエストV』は地味な作品と映ってしまいかねませんでした。実際は、大きな挑戦を成し遂げた作品だったのですが。

新進気鋭の猛追に対して、ブランドの危機を迎えたドラゴンクエスト。だからこそ、玄人好みするRPGの可能性追求はやめ、あらためてユーザーが求める進化を目指しつつ、ユーザーとドラクエの絆探しを行なったのが、『ドラゴンクエストVI』という作品だった気がします。

 シリーズの集大成にして、シリーズ最高傑作!
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『ドラゴンクエストVI』は、「負けられない作品」だったということもあり、シリーズのウケたところをすべて詰め込むといった贅沢なことを行なっています。

ゲームの基本は、ドラクエ2で特徴的だった世界中を歩き回る「探求」に軸を置きながら、ドラクエ4で特徴的だった個性的なキャラクターを配置し、ドラクエ3のような転職システムとFFのアビリティを意識した特技の追加、ドラクエ5のモンスターを仲間にするシステムまで取り込みました。

特徴的なのは、「2つの世界を行き来しながらゲームを進めていく」という展開です。

ドラクエ6は、「現実世界」と「現実とちょっと違う世界」の2つが最初から存在しており、この本来交じり合うことのない2つの世界が行き来できてしまうヤバイ状況にあるのです。これが思いのほか、冒険を面白くするスパイスとなりました。

宿屋で眠るともう1つの世界に行ってしまう。
井戸に落ちると下の世界に落ちてしまったり。
フィールドマップに階段があることも。
地面に空いた大きな穴から下の世界の雲が見える。

今までのドラクエでは絶対になかった展開やシチュエーションを私たちは目の当たりにするのです。

さらに、オカルト方面にくわしい方ならお分かりだと思いますが、これらのネタはオカルトによくある、別次元に旅立った話、空間移動の話、空に伸びる不思議な階段の話、地球空洞説が元ネタになっていると思われます。

そう、ドラクエ6の面白さはオカルトなんです。

これ、ゲームレビューで語っている方に会ったことがないんですが、ゲーム中のイベントなどに使われているネタの多くはオカルト系逸話です。ゲーム序盤から神隠しの話が出てきますよね。怪しい勧誘をしてくる宗教団体キャラバンま話もあるじゃないですか。鏡の中に住んでいる人とか、シャドーマンみたいな話も。

こんなの最高に面白いに決まっているじゃありませんか。

 マインドダイブと自分探し
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もう1つの世界というのは、実は精神世界だということはゲーム序盤で明かされます。誰かの精神世界ではなく、世界中の人たちの思念が集まって生まれた世界。そこに旅立つことができる主人公たちは、いわばマインドダイブ(精神侵入)できる存在です。

ドラクエ6で注目すべきは、「本当に苦しんでいる人は旅人にお願いなんてしない。自分の悩み事にすら触れてほしくない」というリアリティを前面に出し、そんな人間の弱さをついてくる魔物たちというえげつない大人ファンタジーをいつもの調子でやっているという点です。

テーマが自分探しである以上、「心を旅する」ということは避けられないため、このような世界設定にしたと思われます。

そのため、本作のイベントは心に閉ざした悩みがある人について、マインドダイブしたもう1つの世界でその人がずっと苦しめられている状況を解決してあげることで、現実世界の本人にトラウマを乗り越えらせ前向きにさせていくという展開。いわば、カウンセリング。「本当の人助けとはこういうことさ」といわんばかり。それは、過去のドラクエシリーズのおとぎ話的展開を自ら否定しているとも取れます。それでこその「DQを超えるのはDQだけ」です。

すべての職業の頂点に立つ「勇者」も、「血統や運命がなくても、誰にでもなれるもの」という設定も興味深いです。

このあたりのメッセージは、クリストファー・ノーラン監督映画『ダークナイト・ライズ』にラスト、自ら死ぬ確率のある選択をしてゴッサム・シティを救おうとするバットマンと盟友ゴードン警部のやり取りにも通じるものがあります。

「お前が死んでどうする!?この街は英雄を失うんだぞ!」
「英雄なんて誰にでもなれる。両親を失った子供にジャケットを着せて、あたたかいミルクを与え、”なぁに、世界が終わるわけじゃない”と励ますだけでな」
「…!? お前、ブルース・ウェインか?」

バットマン=ブルース・ウェインが憧れてきたヒーロー、それは汚職にまみれたゴッサム・シティ警察の中で、出世とは縁遠いけど決して正義の心を忘れなかったしがない中年刑事、ゴードンだったのです。

勇者は誰かじゃない。なろうと志した者すべてに可能性がある。

それは、過去作の否定とも取れますが、人間賛歌であり、ドラクエ最終作にふさわしいメッセージとも言えます(終わりませんが)。

本作の主人公は、旅の中で「本当の自分」と再会を果たします。それは、決して喜ばしい再会とは言えないもの。探していた本当の自分より、これまでいろいろなことを積み重ねてきた自分の方にこそ価値がある。そんな物語が、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』だったと思います。

     

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