【魔洞発掘】『魔洞戦紀 ディープダンジョン』――これぞ、男の世界!ディープな世界観とシンプルなゲームシステムの深淵へようこそ!

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2019年現在、「ディープダンジョン」で検索すると、ファイナルファンタジー14のバトルコンテンツが検索上位に上がってしまうのですが、その昔、『魔洞戦紀 ディープダンジョン』という作品があったことを我々は忘れてはなりません。これがですね。お世辞にも「面白いからやってみろって!」と気軽に人に勧められるものではなくて。かなり難易度が高く、派手さもない、ダンジョンRPGなのです。しかし、それは発売当時の印象。今やってみると、なかなかどうして、味わいのあるゲームだと俺は思った今日この頃です。

さあ、今宵は、歴史の深淵の奥深くに埋もれてしまったレトロゲームの魅力を掘り起こすために、テキストで魔洞探索の旅に出ようではありませんか。




ブログ代表
こんばんわ、レトロゲームレイダー/ジョーンズです。

今回発掘した作品は、1986年12月19日、DOGブランドでスクウェア(現スクウェア・エニックス)がファミコンディスクシステム用ダンジョンRPGとして発売した『魔洞戦紀 ディープダンジョン』です。販売はスクウェアでしたが、開発はハミングバードソフト。こちらは、PCゲームで『ロードス島戦紀』シリーズやゴーストハンターシリーズを手がけてきたソフトハウスさんです。

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『ディープダンジョン』の魅力とは
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それは、ハミングバードソフト製という点です。ハミングバードソフトはPCでは数々のゲームをリリースしていましたが、1986年当時、ファミコンには未参入でした。そんなハミングバードソフト開発の数少ないファミコンソフトという特徴があるのですが、俺が言いたいのはそこではありません。

ハミングバードソフトとは、先に伝えた『ロードス島戦記』シリーズやゴーストハンターシリーズを手がけてきたソフトハウスです。

ロードス島戦記
(PC版『ロードス島戦記 灰色の魔女』より)

両方の作品には、1980年代に日本にロールプレイングゲームという概念を広めようと活躍していたグループSNEが深く関わっています。グループSNEの功績は、『トンネルズ&トロールズ』や『ダンジョン&ドラゴンズ』や『バトルテック』などの翻訳・解説など枚挙にいとまがなく、ようは海外のファンタジーやファンタジーRPGをよく分かっている人でした。つまり、ハミングバードソフト作品は、古き良き海外ファンタジーの香り漂う作風であり、『ディープダンジョン』はその雰囲気を漂わせている数少ないファミコンRPGの1つなのです。

普通に考えたら、子ども向け家庭用ゲーム機に海外ファンタジーRPG風味の硬派なダンジョンRPGがヒットするはずがなく、『ディープダンジョン』のリリースは戦略の失敗とも思えます。しかし、1980年代中盤のファミコンブームは前人未踏のムーブメントであり、子供向けゲームハードに夢中になる大人も大勢いたわけで、「次に何がヒットするか変わらない」といった状況だったようです。つまり、どこも手さぐり状態だったのでしょう。

DOGという取り組みも、PCゲームを作っていたソフトハウス6社がおのおの得意なジャンルのゲームを作るというものだったこともあり、『ディープダンジョン』はハミングバードソフトの「俺たちが好きなゲームってこういうやつですけど何か?」という思いがとりわけ凝縮されているのではないかと、個人的には思っています。


『ディープダンジョン』のストーリー
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ディープダンジョン_ストーリー

―発 端―
太古の昔、その地ドールでは、人間と魔物たちとの生存をかけた戦いが続いていた。両者の力は拮抗し、戦いは何世代にもわたって続いたという。果てしない戦いに終止符を打ったのは、聡明なる頭脳とたぐいまれなる剛腕を持った勇剣士コナンであった。

彼は単身魔物に立ち向かっていった。コナンが身につけたヨロイと手にした盾の前に、魔物たちが放つ魔法もことごとく跳ね返される。そして、彼のくりだす剣の威力に魔物たちはおののき、後ずさりを始めた。やがて魔物たちは、地中に逃げ場所を求め、われ先に「穴」の中へ逃げ込んでいく。すべての魔物たちをドールの地下奥深くへ追いやったコナンは、地上への通路を封じ、人間の世界と魔物の世界とを分けることに成功したのであった。

人々は彼をたたえた。コナンはドールの初代の国王となり、すっかり荒れはてたドールを緑豊かな国として生まれ変わらせたのでした。人々は、代々彼の名前を語り継ぎ、そして、地下への監視をつづけます。やがて、この物語は伝説として口から口へと伝承されていきました。

しかし、平和という時の流れのなかで、いつしか人々の記憶から勇剣士の伝説は消え、地下の魔物たちの存在も忘れ去られていったのです。

―逆 襲―
時が流れ、時代が移りかわっても、ドールの街には常に花が咲きみだれ、鳥のさえずりと人々の笑顔は絶えることがありませんでした。慈愛に満ちた国王のもと、人々はこの平和が未来永劫にわたって続くものと信じて疑わなかったのです。

地上で人間たちが平和な時を謳歌している頃、地下では魔物たちが過去の恨みを晴らすべく、復活の時を虎視眈々と狙っていました。勇剣士に完膚なきまでにたたきのめされた魔物たちでしたが、いつしかその傷もいえ、ふたたび地上へ出る日を待ち望んていたのです。

地上の偵察に行った魔物の報告は衝撃的でした。「人間たちはわれわれにまったく無警戒になった。今こそ立ち上がるときがきたのだ」。その言葉に魔物たちはどよめき、歓喜の声は大地を揺らした。が、その揺れを感じとった人間はいません。長きにわたる平和は、人々の心の中にあった危機感を奪い去っていたのです。陽の光が降り注ぐおだやかなある日、魔物たちの逆襲が始まるのでした。


―暗 転―
突如、魔物たちは人間の世界に強襲をかけました。地の底よりわき上がった魔物の群れに、人々はただ逃げ惑うばかりで、あらがう術も知りません。魔物たちは街を荒し、宝物を奪い、国の誰からも愛されていたプリンセス・エトナの魂を抜き取ると、地下深くへと消えていきます。邪悪な彼らにとって、太陽が明るく輝く地上は居心地のいい場所ではなかったのです。

事態の重大さに驚いた国王は、剣の達人との呼び名が高い、剣士ルウを城に呼び寄せました。国王の脳裏に伝説がよみがえります。国王は、城内の薄暗い宝物蔵の奥深くへとわけいり、遠いむかし、勇剣士コナンが魔物と戦ったときに身につけていたヨロイ、剣、盾をるうに授けました。これらには1点のさびも曇りもなく、あたかも時の流れを超越した存在のようでした。ルゥは2人の従者とともに、魔物が潜む地下へと向かったのです。


―対 決―
3人が地下へ入って数日後、従者の1人が瀕死の状態で戻ってきました。「地下は何層にもおよび、おそろしい数の魔物の巣窟です。地下3階には幻の街が存在していました。ルウ様はさらに下へと…」。そこで彼の息は途絶えました。

王は国中の若者に呼びかけます。「この国を救えるのは、きみたちの勇気だけとなった。魔王を倒し、姫の魂を取りもどした者こそ、勇剣士の称号が与えられ、次の国王となる。そして長く語り継がれるであろう。初代国王がそうであったように」。その呼びかけに、1人の若者が立ち上がりました。彼は、魔物の毒牙に多くの友を失っていたのです。悲しみを怒りに変えて、彼は単身地下へつながる入口へと向かいました

人々の期待を一身にあびて、地下へと歩みを進める若者こそ、「君」なのだ。いざ、深き深淵”ディープダンジョン”へ。今、君の手によって新たなる伝説の幕が開く…。


『ディープダンジョン』ってどんなゲーム?
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ひと言でいうなら、広大な地下迷宮<ディープダンジョン>を彷徨い、魔物を倒してレベルを上げつつ、地下7階にいるエトナ姫を救出し、もう1つの地下3階にいる魔王を倒すという、シンプルモダンなダンジョンRPGです。

かの『ドラゴンクエスト』が名作『ウルティマ』の面白さを日本の子どもたちに伝えるために上手い具合にローカライズしたカタチで作られたように。本作は名作『ウィザードリィ』の面白さを日本の子どもたちに伝えるために作られた作品といえるかもしれません(ファミコン版ウィザードリィがの発売はこの翌年です)。

しかし、本作がダンジョンRPG版のドラゴンクエストになれなかった理由は明白で、「子ども向けに作られていない」からです。

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ダンジョンの地下1階から、32×32という広大なダンジョンが待ち受けています。しかも、ちっとも親切な構造になっていません。地下1階で余裕で迷子になれます。オートマッピングなんて機能が付いているはずもなく、1歩ずつ歩いて方眼紙に地図を書いていく努力が必須です。しかも、32×32の1024マスが1階分ですからね。なかなかヤバイですよ。まあ、後に手に入る水晶があれば、少しだけ近くを見せてくれるのですが、やっぱりマッピングは欠かせません。

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敵もですね。なかなか手ごわい。そして数ターン戦って、もらえる経験値が1~4。「いつになったらレベルアップできんねん!」という(笑)。これがゲームスタート直後の展開ですからね。そう、「魔洞戦紀=苦行」なのです。

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そうそう、『ディープダンジョン』といえば、「ゴミ漁り」です。何のことかというと、ダンジョン内にはゴミが落ちていて、それを「しらべる」とGOLDが手に入ったりすることがあります。序盤ではこのゴミ漁りが本当に重要で、いち早く強い武器・防具を手に入れて、生還確率を上げなければなりませんので、ゴミを探して、見つけては調べるのくり返しになるのです。

そして、ゲームの舞台はこのダンジョンだけ。スタート地点に街やお城はありますが、飾りみたいなもので、本作はダンジョンしかありません。不純物の混じっていない、信頼できるダンジョンほぼ100%です。

いかがでしょうか。これが『ディープダンジョン』です。

かくいう俺も、子ども時代に挑戦し、プレイ開始10分で挫折したゲームでした。自分でマッピングしなければならない理由が意味不明だったのです。しかし、今ならわかります。自分でマッピングしていくことも、ゲームプレイの1つであり、このゲームの楽しさの一部であると。

ボードゲームやテーブルトークRPGにおいて。「ダイスを振る」という行為が発生しますよね。あれって、ロールプレイ=登場人物になりきるために必要なプロセスなんですよね。自分の命運を決めるサイを自分で振る。この行為による介入によって、ゲーム盤上で行われていることを自分事として認識する”仕掛け”だと思っているんですよ。『ディープダンジョン』におけるマッピングも同じです。

考えてもみてください。舞台は、人類に仇なす魔物の巣窟なわけです。映画『エイリアン2』における終盤に出てくるエイリアンの巣みたいなところが、ディープダンジョンそのものなわけ。だから、勢いに任せてズンズン先に行くなんて、愚か者の行為でしかなく。一歩ずつ状況や現在位置を確かめながら進んでいくべきなのです。RPGの面白さが、自分が強くなることで行動範囲が広がっていくことならば、そればゲーム中のパラメーターだけでなく、ゲームの外にいるプレーヤーの「知」も強さになるわけで。自作マップによってダンジョンを知ることも知的な強さであり、RPGの面白さにつながるのではないでしょうか。

ゴミ漁りについて。「ゴミ」という言葉から俺たちは飲食店の裏にあるバケツなどをイメージしてしまいますが、ここは「行間を読むべきところ」です。魔物たちがダンジョンに残しているゴミとは、おそらく俺たちがコンビニのゴミ箱に出すようなものではなく、王が派遣した討伐隊のなれ果て、いわば死体そのものや、魔物に食べられて棄てられたものとは考えられないでしょうか。となると、本作の主人公のゴミ漁りはシュールな絵などではなく、生き残るために必死に使えるものを探している生きる人間の必死な姿とも解釈できます。

そうなのです。ディープダンジョンは人外魔境。人間が本来いるべきではない場所にたった1人挑んでいるのが、主人公であり、プレーヤーなのです。カッコ悪くて何が悪い。生き残ることがすべてにおいて優先されるべきこと。絶望的な状況でも必死にかじりついて、火の届かない地底の底で光明を見出すプレーヤーのあがきこそが、『ディープダンジョン』のカッコ良さだと、最近思えるようになってきました。


ゲームに難易度は必要なのか否か
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ゲームは娯楽です。楽しいに越したことはありません。ただ、難しいゲームは人気とは言いにくいかもしれませんが、一定数存在します。なぜ、存在するのでしょうか。俺は、「乗り越えて、自信をつけるため」に存在しているのではないかと考えています。

人生において自信とは、生きるための活力です。自信を取り戻すだけで、世界は違って見えてくるもの。ゲームは手頃な娯楽ではありますが、手軽に成功体験を得られるツールという側面もありますよね。オッサンになると、リアルの世界で自信を失うようなことがたくさんあります。人生とはそういう仕組みです。

その立ち直るキッカケに、高難易度のゲームという選択肢があってもいいのではないでしょうか。そんな時に、ぜひ、魔洞戦紀に挑戦してみてください。





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