
こんにちは、レトロゲームレイダー/ジョーンズです。
今回発掘したのは、エニックスから2000年8月に発売されたプレイステーション1用RPG『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。賛否両論分かれた本作は、これはどういうゲームなのかをプレーヤーに伝えるコミュニケーションが弱く、そのせいで面白さの大半が伝わりにくい作品になっていると、個人的には思っています。今回は、そんな本作の魅力について、語っていく予定です。
さあ、今宵も、歴史に埋もれし、レトロゲームの魅力を掘り起こしていこう――。
『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』とは

『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』は、「初代ドラゴンクエストから遊び続けてくれているユーザーに向けて、あの頃の放課後の冒険を思い起こさせてくれる、当時の最新技術を使った懐かしいドラゴンクエスト」だったのだと、俺は考えています。
理由は、主人公がこれまでのシリーズとは異なり「少年」であることです。
これまでのドラゴンクエストは、主人公は「青年」という設定であり、メインとなるプレーヤーたちよりも少し年上のお兄さんでした。しかし、本作では「少年」に設定されており、父親の職業は漁師、母親は専業主婦、親戚にまともに働かない叔父がいて、友だちに幼馴染がいます。実に生活感のある設定が施されており、これは「今回は少年を演じろ(ロールプレイしろ)」という明確な意志が感じられます。
これは、毎回おなじみのドラゴンクエストの挑戦的な一面であり、おそらくシリーズのマンネリ打破が目的だと思うのですが、今度は年下の「少年」を演じる楽しみを提供しようとしたのが『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』なのです。
なぜ、「少年」なのか。それは、ドラゴンクエストでずっと遊んできたプレーヤーたちの年齢が大人になっていたからだと思います。1986年、初代『ドラゴンクエスト』を10歳でプレイした子どもたちは、2000年の『ドラゴンクエストVII』の時には24歳、社会人です。いつもの勇者ではなく、少年時代に誰もが経験したことがある夏休みに行なった仲間たちとの親にナイショの冒険のロールプレイ。だから、キャッチコピーが「人は、誰かになれる」であり、イメージとしては『ぼくのなつやすみ』『MOTHER』『グーニーズ』『スタンド・バイ・ミー』『IT(イット)』『大長編ドラえもんシリーズ』的な物語を目指していたと、俺は解釈しました。
「目指していた」という言い方をしたのは、プレーヤーにその意図が伝わるコミュニケーションができていないからです。それが、本作最大の失敗といえるでしょう。
親にナイショの少年少女たちの冒険だからこそ、本作ではこれまでのシリーズで存在意義が失われつつあった「ひのきのぼう」「おなべのフタ」といった子ども向け武器・防具、「メラ」の存在感が大きく改定されています。冒険慣れしている青年ではなく、冒険が初めての少年少女ですから、子ども向けの武器・防具・呪文にスポットが当てられているのです。一見無意味に見える戦闘中の「はなす」コマンドも、少年少女冒険モノにつきものである「どうする?どうする?」という仲間たちとの相談シーンをイメージして作られているのでしょう。
ゲーム開始から2時間ほどかかる遺跡の謎解きは、『グーニーズ』的なノリであるということが分かれば「アリ」だったと思います。しかし、それが上手く伝わっていないため(伝えるための演出などの工夫が弱いため)、見た目はいつものドラクエでしかなく、いつものドラクエだと思ってプレイしてしまうと、「なかなか敵が出てこない!旅に出れない!ムキー!」という感想を抱いてしまう。そんな不幸が『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』にはあったのではないでしょうか。
長々と話してしまいましたが、結論、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』は童心にかえって少年少女の冒険を楽しむRPGであり、その冒険の中で出会いと別れを経験し、そしてさまざまな大人の世界を知って精神的に成長していく物語なのだ、ということが言いたかったほけです。
『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』のストーリー

広大な海にぽつんと1つだけ浮かぶ島――エスタード島。
この島はグラン家による王政統治が行なわれており、人々は漁業を中心に自然の恵みを受けて平和に暮らしていました。「今の状態が一番幸せ」と考える大人たちに対して、子どもたちには退屈すぎる日々。物語の中で語られる世界を股にかける大冒険、魔物との戦いに憧れを抱いています。
なんでも知っている島の中で、たった1つだけ誰も知らない不思議な場所がありました。それは、山に囲まれた古い古い遺跡。いつ、誰が、何の目的で建てたか分からないその建物に、惹かれる少年たちがいました。グラン王家の王子と弟分のフィッシュベルの漁師の息子です。彼らはその遺跡が、自分たちをワクワクさせる冒険にいざなってくれるような気がしていたのです。
2人が親たちに隠れて何かしていることに、たった1人気づいている者がいました。2人の幼馴染であるフィッシュベルの網元の娘です。彼女は2人の様子からとんでもなく面白いことを企んでいることを見抜き、また自分がのけ者にされていることを怒り、2人を監視しているのでした。
そんなある日、王子が見つけてきた古文書を手がかりに、2人は固く閉じられていた遺跡の扉を開くことに成功。ふしぎな石板を手に入れます。遺跡にはたくさんの台座が並べられており、その台座にピースとなった石板をはめられることに気がつきます。島中を探して石板を見つけた2人。その様子を見張っていた1人。3人はいつしょに台座に石板をはめこみます。
すると、あたりをまばゆい光が包み込み、気がつくと3人は知らない森にいました。エスタード島以外の場所に着いたことを喜ぶ3人でしたが、その喜びはすぐに戸惑いに変わります。3人に向かって魔物が襲いかかってきたのです。これまで物語の中にしかいないと思っていた魔物がいる世界。あの石板は、3人が望んでいた冒険のある「世界」への通行証だったのです。
その日から3人の冒険が始まります。朝ご飯を食べて、遊びに行ってくると出かけて、遺跡に集まって、夕ご飯の時間まで親たちにはナイショで、異世界へ冒険しに行ってくる。それはまさに3人が求めていた冒険です。
しかし、この時の3人はまだ知りませんでした。ちょっとした好奇心からはじまった冒険が、やがて少年たちの別離、出生の秘密、世界の秘密の扉を開く、時空を超えた大冒険になることを…。
『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』のダイジェスト



























『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の魅力

『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の魅力は、『ドラゴンクエストVI 幻の大地』で確立された転職システムと特技システムの進化発展形であり、『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』で行われたゲームの進捗によって住民の語る内容が変わる物語性があり、『クロノトリガー』のように過去を変えることで未来が変わる時間改変を盛り込んだ、これまでにない壮大な冒険が楽しめる点といえるでしょう。
本作を楽しむコツは、マップ回転機能を使い、建物を斜め表示にすることです。『MOTHER』のような表示のさせ方ですね。それを反対側からも行ないます。こうすることで、建物にある扉や裏側にあるツボなどを見つけやすくなるのでオススメです。さらに、ポリゴンで描かれているのに、これまでのシリーズ同様にあたたかみのあるグラフィックを楽しむこともできると思います。
また、本作を楽しむコツの1つであり、好き嫌いが分かれる要素にもなっているのが、街や城の人たちとの話すこと。本作は時間をかけて街や城の人たちと話していくプレイスタイルのほうがゲームがスムーズに進みますし、驚くほどメッセージが変化するので本作を楽しめると思います。しかし、このプレイスタイルは少々古くささも否めません。ファミコン時代のドラクエでは当たり前だったのですが、2000年当時のRPGはもっとテンポが良かったため、「面倒くさい作業を強いられる」という見え方もしてしまうんですよね。いろんな意味で残念です。
とにかく本作は、これまで堀井雄二さんが1人で行なっていた仕事をチーム制で行なった第1作目ということもあり、1人ではできなかったことをやるということで前作『ドラゴンクエストVI 幻の大地』を超える「大作」を目指して作られたと思われます。結果、プレイ時間は平気で100時間を超えるボリューム。誰もが一度は夢見た「冒険が終わらないドラゴンクエスト」の2000年代での1つの終着点といえるかもしれません。
個人的には、物語が大好きです。
本作は暗い話が多いのですが、これは冒険に憧れる少年少女につきつける厳しい現実という構図だと思うんですね。おとぎ話にあるようなキレイな冒険なんて存在しない。そこには必ず不幸があり、失ったものは取り戻せない。だからこそ、失わないように努力しなければならない。子どもにはちょっと難しいことかもしれないけど、大人になった君なら分かるだろ?とプレーヤーに問いかけているようなイベントばかりなんですね。これは、「自分探しをしてみたら本当の自分を見つけた後のほうが大変だった」というリアリティあるブラックジョークを地で行った『ドラゴンクエストVI 幻の大地』の発展形だと俺は思っていて。本作は、少年が主人公だけど、内容はオトナの童話なのです。子ども向けのグリム童話をイメージして本場のグリム童話を読んでみたら全然違ったみたいな。でも、そこが『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の魅力だと思っています。
主人公たちの冒険は、親にナイショのちょっとした探検のつもりでしたが、その冒険は過去改変であり、現代である現実世界に少しずつ影響を及ぼしていきます。封印されて存在しなくなっていたはずの島が、封印されなかったことになり、現代にも存在するようになる。それによってその島の歴史が紡がれる。それにより、世界に一匹もいなかったはずの魔物が姿を現すようになり、世界ははるか昔、魔王が存在していた頃の姿に近づいていく。おとぎ話が現実をどんどん侵食していくような怖さがあるのです。そしてこの浸食は、主人公たちの運命を大きく変えていくことになります。
物語中盤でのキーファの離脱は、衝撃的なイベントでした。パーティの主戦力がいなくなり、パーティメンバーも1人欠けた状態に。半ば強制的にパーティメンバーの役割を変えて、半ば強制的に強くなるしかない。肉体的にも、精神的にも。このイベントって不評の声が多いのですが、兄貴分がいなくなり、弟分がリーダーとしての自覚を持ち成長していくという結構熱い展開なんです。
で、
もう1つ注目しなければならないのは、本作の主人公たちは誰かに「魔王を倒してまいれ」と命令されたわけではなく、すべて自分の意志で行動を決めているという点です。キーファも自分の意志で王子という道を捨て、ユバールの守り手として生きていく道を選びます。主人公も自分の意志で世界の秘密と真の平和に向けて歩んでいくのです。そしてマリベルも自分の意志で、最後まで主人公のたびに付き合うことを選びます。マリベルはお嬢様で口が悪く、主人公に対してダメ出しばかりしているキャラです。しかし、人間の本質とは話す言葉ではなく行動に出るもの。マリベルは、自分の意志で、キーファのいなくなった主人公を最後まで支え続けるという道を選ぶんですよ。どうですか、萌えませんか。
こんな魅力が『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』にはあるのです。
レトロゲームとしての『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』

ロムカセット時代に近いフィールドデザインで、ポリゴンを使った表現をしているドラゴンクエストは、PS1版『ドラゴンクエストVII』とPS1版『ドラゴンクエストIV』しかありません。あらためて見てみると、いろいろなところがとてもていねいに描かれているので、それだけでもプレイする価値はあると思います。
前にも書きましたが、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』は「こういうゲームだよ」というプレーヤーとのコミュニケーションが失敗している作品だと俺は思っています。本作が発売された2000年時、世の中にはいろいろなRPGが存在していたからこそ、「こういうゲームだよ」というコミュニケーションは重要でした。特に本作の場合は、一見するとこれまでのドラクエとあまり変わらないのですが、やろうとしていることは結構違かったため、よりプレーヤーとのコミュニケーションが必要だったと思います。しかし、国産RPG王者として、これまではプレーヤーから理解してくれようとしていた地位に甘んじたのか、時代の流れを読み間違えたのか、誤解されてしまいました。
また、本作に寄せられた感想から「ユーザーがドラゴンクエストに求めているのはそういうのじゃない」ということがはっきりしたということでもあります。ゆえに、以降のドラゴンクエストは奇をてらわず、フツウのおとぎ話に立ち返っていくのでした。だからこそ、レトロゲームとしての『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』には、ドラゴンクエストの新しい可能性を求めて他の作品にはない尖った面があるわけで、今こそ、その価値は再評価されてもいいのではないかと思います。
「エデンの戦士たち」とは、あたたかくてやさしいゲームの世界をいつまでも求めている大人になれないゲームプレーヤーに向けられた痛烈なメッセージ、という解釈もできるわけで。あらためてこのゲームを遊んだ時に何が見えてくるのか。みなさんのご意見も聞かせていただきたいと思います(笑)

『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』で遊ぶ方法
『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の音楽を楽しむ
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