風が吹いていた。竜王に支配されたその国は、戦いに疲れ、悲しみに満ち溢れている。広大な大地はどこまでも広がり、どこに行くべきかも分からない。ふと、見ると、近くに城がある。ラダトームの街だ。よし、まずはそこに行ってみよう。物悲しい旋律の流れるドラゴンクエストⅠの冒険は、フィールドに1人佇むところからはじまる。その心細さが弱さであり、それに慣れたときに強くなった自分を感じられる。すべてのRPGの面白さを抽出したような傑作、ドラゴンクエスト。
今夜も、歴史に埋もれし、レトロゲームの魅力に迫ってみよう。

こんにちわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。
今回発掘した作品は、日本にRPGを広めた立役者!1986年にエニックス(現スクウェアエニックス)より発売されたファミコンソフト『ドラゴンクエスト』。今日までつづく人気シリーズの記念すべき第一作目です。

そんな初代ドラゴンクエストといえば、コレ(↓)。主人公の通称“カニ歩き”。そう、本作では主人公は後のシリーズとは異なり、右向きや左向きはできず、ずっと正面を向いたまま。その様子からカニ歩きと言われてきたわけですが、その理由をご存知ですか?

はあ?ロムカセットの容量が足りなかった、だって?
ゲーム史を勉強する学生としては正解ですが、RPGプレーヤーとしては不正解です。RPGとは、自分が演じてナンボの世界ですよ。もっと想像して、もっと創造して…。はいっ、答えは、「背中を預けられる仲間がいないから」でした!
大人のへ理屈と思われるかもしれません。しかし、ちょっと話を聞いてください。

知り合いにロングトレイルに挑戦している方がいます。必要最小限の荷物だけを持って、たった一人で大自然の中を歩き続けるという過酷なスポーツです。そのとき、もっとも危険なのが「トイレ」だといいます。無防備な背中は、猛獣に襲われやすいのだとか。
そうです。たった一人の旅は危険がつきもの。そして、この“たった一人の旅”というところが、『ドラゴンクエストⅠ』の神髄であり、今だからこそ、遊びなおす意義を私たちに教えてくれる要素でもあるのです。



最初の難関「ロトの洞窟」。たいまつがないとまともに進めないので注意!
進むか?戻るか?致死率の高いダンジョンの洗礼を受ける!

三人の賢者とは、ロトとともに魔王を倒した三人の仲間たちのこと。
その詳細は、『ドラゴンクエストIII』で明かされる!

ミヤ王とは週刊少年ジャンプで連載していたファミコン神拳の宮岡寛さんのこと。
この人が後に「竜退治はもう飽きた」でお馴染み『メタルマックス』を作ることに。

いにしえの吟遊詩人ガライが持つ銀の竪琴は、魔物を引き寄せるらしい。

橋を渡るごとにモンスターはどんどん強くなっていく!
ガライの町からマイラの村へのアレフガルド縦断は、ドキドキだ。

11PMの「うさぎちゃん」による温泉リポートのオマージュがここに。
温泉リポートは各地の温泉看板に「効能」という言葉を流行らせたという説も。

なんと、こんなところに超重要アイテムが捨ててあるとは!?

ぱふぱふはシリーズ第一作目から存在している!
ちなみに、筆者は渋谷のガールズバーで実際にやってもらったことがあるが、
特に何の感慨も受けなかった。ただの貧乳好きだからかもしれない。

メインプログラマーである中村光一氏も出演。

リムルダールにある魔法のかぎ屋。その経緯はロトの時代にまでさかのぼる。

廃墟の町ドムドーラ。実は主人公の生まれ故郷という設定も…。
武器屋のユキノフは最後まである大切なものを守っていたというが。

城塞都市メルキドを守るゴーレムを倒さなければ、町に入れない。
マイムの村で手に入れたアレを使うと…。

バリアに囲まれた謎のエリアにいるメルキドの長老が語る謎の座標!
そこには、例のアレが隠されている!

ドラゴンとの激闘の末、ついにローラ姫を救出!
とりあえず、城に連れて帰るお願いを断ってみると(笑)。

昨晩、2人の間に何があったのかは、2人だけのヒミツってやつだ!
ローラ姫を助け出しても、物語はつづく!


結論から言いましょう!それは、「ギリギリを見極めること」です。
「キャラクターを育てる」とか言うと思いましたか? たしかにそれはRPGの面白さであり、本作でも重要な要素ではあるのですが私の意見は違います。では、何がギリギリなのか? それは、「これ以上進んでいいか?」、それとも、「ここで引き返すべきか?」のギリギリ感です。
勘のいい方は気づかれているようですね。

本作『ドラゴンクエスト』は、日本の子供たちにRPGの面白さを伝えるために作られた、いわば「ファミコン用RPGの入門ゲーム」です。では、RPGの面白さとは何か? これはさまざまな要素があって答えづらいですよね。堀井雄二さんは、入門編にふさわしい要素として、本作におけるRPGの面白さは、「自分のキャラクターの成長を感じられる要素」と定義しました。
だからこそ本作は、地図がないから行って見ないと分からない、洞窟も視界が狭く先に進みづらい、川を渡るごとにモンスターが強くなるといった先に進みにくくなる障害が設けられているわけ。つまり、「それを乗り越えられる=強くなった」が、分かりやすくなっているということです。

強くなるための方法は、「強い武器・防具を装備する」、もしくは、「経験値をためてレベルを上げる」のどちらか。ゴールドも経験値もモンスターからしか手に入らないため、戦闘が必至ということ。そして、戦闘に敗れると、せっかく貯めたゴールドが半減するというデメリットがあるからこそ、戦闘の敗北はなんとしても避けたいところです。
だからこそ、
「経験値を稼ぐためにはもう少しこのあたりで戦いたい」
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「だが、MPも薬草の残量も少ない」
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「あと、一回ぐらい戦闘してもいいんじゃないだろうか」
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「最悪、逃げればいいだろう」
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「げっ、影の騎士だ!よりによってコイツに出会っちまった」
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「ひーっ、逃げられない!」
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「ちくしょうっ!やってやるぜ!!」
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「ぜえぜえ、なんとか倒せたもののMPも薬草も底がついた」
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「キメラの翼もないし、こんな敵地のど真ん中から、どうやって帰ろう…(T_T)」
と、いったことが往々にしてあるのです。
こういうシチュエーションは、初めてのエリアに侵入したとき、ダンジョンに入ったときなど、ゲーム中のいたるところで直面します。若手ゲーマーは驚くかもしれませんが、本作のダンジョンは大抵一回では制覇できません。何回も宿屋に止まりながら挑戦し、やっと全ルートの宝箱を回収する…というバランス調整がなされています。この危機を見極めることこそが、私はドラゴンクエストの面白さだと思うのです。
何度も危機を迎えることになる。この事実だけを捉えると、若手ゲーマーの方々は「ゲームバランスが悪い!」と駄々をこねるかもしれませんね。その認識は間違っています。さまざまな危機が訪れるからこそ、そこにプレイヤーの数だけ“ドラマ”が生まれる。『ドラゴンクエスト』とは、制作者が用意したストーリーでプレーヤーを楽しませる今時のゲームとはまったく系統が異なり、プレーヤーが作り出す数々のドラマが最っ高にアツイ!ゲームなのです。
本作の制作を担当しているチュンソフトが後に発売した『不思議のダンジョン』シリーズは、この要素を拡大させた…といえば、分かりやすいでしょうか。


「勇気」とは、何でしょうか?
ゲームの中では、当たり前のように出てくるこの言葉。その本当の意味を、私は登山家である友人から教わったことがあります。その友人は言いました。「勇気とは、自分の弱さと向き合えるココロの強さ」だと。
山を登ったことがある方ならご存知のことだと思いますが、山はいつ“死”に直結してもおかしくない場所です。熟練のクライマーが初心者用といわれる山で命を落とす…。そんなことも珍しくない。それが、人外魔境の“山”です。だからこそ、登山家たちに求められるのは、「これ以上行ったら危ない。引き返そう」という判断力だとか。この判断をする際に、いつも否応なしに「自分の弱さ」と向き合うことになるのだそうです。
「自分にもっと体力があれば、次の山小屋までたどり着けたのに」
「いや、ちょっとしたら、行けちゃうんじゃないか」
「ここで引き返したら、せっかく準備してきたことが無駄になってしまう」
「次はいつ来れるか分からないぞ」
「もう少し先まで行って、引き返す判断はそこですればいいんじゃないか」
弱い自分が吐き出すいろんな言い訳や楽観的な憶測、甘い誘惑が心に湧いてくる中で、冷静に状況を把握して、命を無駄にしないために鉄の意思で自分の心を律する。それが“勇気”なのだといいます。自分だって無理してでも先に進みたい。それでも、引き返す。弱い自分と向き合わなければできないことだと言います。
『ドラゴンクエスト』をプレイしていて、この言葉を思い出しました。

本作にパーティは存在しません。最初から最後まで一人旅です。だからこそ、行動は慎重にならざるを得ない。自分を律しなければ、死を招くことになります。みなさんは「勇者」について考えてみたことがありますか?勇者とは特定の血筋を示すのではありません。「勇気を持つ者」こそが「勇者」なのです。
圧倒的な孤独さ、頼りなさ。そんな障壁があるからこそ、ギリギリのシチュエーションがあるからこそ、自分の中の勇気をひときわ感じられる。それが、『ドラゴンクエスト』の魅力だと思います。
ストーリーを押し付けられるRPGに飽きたら、本作をプレイしてみてください。
たったひとつのピンチも、自分の計算違いが起こした買い物のミスも、すべて自分だけのドラマになっていく。そんな“自由”をアレフガルドの中で感じることができるでしょう。


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