かつて世界はロムカセットの中にあった。大地はあった。海もあった。山もあった。空は見えなかったが、後に昼とか夜とか出てきたので、「まあ、あるんだろうな」と認識できた。父と子と旅をしている頃になって、戦いの背景に空が見えるように。木漏れ日の中で太陽のきらめきを見たこともあった。そして今、私たちの前には、広大な世界が広がるようになった。空も、海も、大地も、そこにはある。世界を歩くということ、旅をするということを、私たちはふたたび楽しめるときが来た。
さあ、今宵も、歴史に埋もれし、レトロゲームの魅力を紐解いてみよう。

こんにちわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。
今回発掘した作品は、2004年にスクウェア・エニックスから発売されたプレイステーション2専用のRPG『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』です。近年では、スマートフォン用のゲームアプリとして移植もされ、プレイできる環境は整えられています。
そんな本作ですが、ストーリー面においてあまり高い評価を得ていません。そのことから本作の評価が低い人も多いのは事実です。Amazonのカスタマーレビューで「★×1」の評価をしている人のほとんどが、ストーリーについて触れています。
ズバリ、私の見解を言いましょう。
ドラゴンクエストVIIIにおいて、ストーリーは大した意味が無い、と。
これは、マイナス面を埋める良さがあるという意味ではありません。本作はあえてストーリー面を抑えて作っているものであり、初代ドラゴンクエスト同様、ワールドマップを歩かせるための道標的な役割しか果たさないように作られているゲームだからです。
その証はまさしく序盤の展開。「ドルマゲスを追っていく」という目的だけが与えられ、次の街へと進んでいくだけ。なぜなのか。それは、作品のサブタイトルが物語っています。本作は、空と海と大地という見渡すかぎりの世界に立つという旅するRPGの面白さ、そして姫君を助けるという王道ヒロイックファンタジーである初代へと原点回帰を果たした作品だからに他なりません。


そもそも『ドラゴンクエスト』という作品は、1980年代、まだ一部のPCゲームフリークしか知らなかったコンピュータRPGの面白さを少年少女たちに分かりやすく伝えるためのゲームとして生を受けました。『1』では成長させていく楽しさを、『2』ではパーティ制と大冒険という広がりを、『3』ではキャラクターメイキングで何度も遊べるという面白さを伝え、巨大なムーブメントを作ってドラクエの使命は終わったはずでした。

しかし、すでに社会現象を起こすビッグビジネスにまで成長してしまったドラクエは幕を引くことを許されず、歩み続けることになったのです。そんなドラゴンクエストが次に目指したのは、「物語性のあるRPG」としてのカタチの追求でした。
「?」と思うかもしれません。しかし、あのファイナルファンタジーがまだ、戦闘主体のゲームであった時代から、偉大な父の後を追って、世界中でいろいろな出来事に巻き込まれて成長しながら、最後の最後で父を越えて勇者になる――というストーリー系RPGを完成させていたのはドラゴンクエストです。

五章構成をもって壮大な物語を描いた『導かれし者たち』。
親子三代にわたる立場の変化を盛り込んだ『天空の花嫁』。
人間の心の闇と生きるということをテーマにした『幻の大地』。
ゲームシステムにより、あくまでも主人公はプレーヤーであり、過度な舞台劇を行なわないということから気づかれにくいですが、テーマの深い国産ストーリーRPGの裾野を切り拓いて来たのは、まさにドラゴンクエストでした。そんなシリーズは『エデンの戦士たち』で、ひとつの転機を迎えます。

『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』はシリーズの集大成というべきボリュームと内容で、『ぼくの夏休み』的にゲームに熱中していた子供時代を大人のプレーヤーが思い出すというカタチを取っている、セルフパロディも含んだすばらしい作品でした。手塚治の『火の鳥』レベルの完成度だと個人的には思っています。
が、伝わりませんでした。
ゲームのプレイする人口は、家庭用ゲームの歴史が進むとともに増加し、プレステからゲームをはじめたといった新しい世代も多くなりました。また、ハードの発展によって、表現できることも増えたため、多様なRPGが世の中にはあふれており、その中においてドラクエはネームバリューこそあるものの、数あるRPGの1つぐらいに思われる存在にもなっていたのです。
ドラゴンクエストは、新しい一歩を踏み出す必要が求められました。また、こうなることを予見していたかのように、『エデンの戦士たち』は、最終作でもおかしくない“卒業”を感じさせるエンディングでもあるので、未見の方はぜひご覧ください。
話を戻します。
新しいドラゴンクエストが取った次のドラゴンクエストの道が「原点回帰」でした。それは、ストーリーを押し付けるRPGが氾濫するマーケットに対する“警鐘”でもあり、“RPGの面白さとは何だったのかを思い出そうぜ!”というメッセージでもあるといえるでしょう。
ひと言でいうと、
『ドラゴンクエストVIII』はフィールドを旅することに楽しさを感じるRPGです。
奇しくもそれは、初代『ドラゴンクエストI』のコンセプトに酷似しています。しかし、FC以来守ることを義務付けられてきた画面表示などの“ドラクエらしさ”を取り払い、今ある現行機のパフォーマンスをフルに使ってできるドラゴンクエストとして生まれたのが本作!かつては、記号の配置でしか表せなかった、草原も、木々も、河も、岩山も、町も、人も、等身大の世界が表せるようになりました。
見渡すかぎりの世界がある
これは本作のキャッチコピーですが、まさにゲームコンセプトそのものなわけです。


『ドラゴンクエストVIII』は、グラフィック面で大きな進化を遂げ、フィールド見下ろし型の画面表示から主人公の後姿を追っていく体感型という変化を遂げました。これによって、プレーヤーはこの世界に住む一人の住人の視点をもって、ロールプレイしていくことができます。
パッと見の変化は、まるで別のゲーム。
だからこそ、システム面では大きな冒険をせずに、いつも通りのドラゴンクエストとして触れることができます。説明書を読まなくても大丈夫です。プレステ2のコントローラーの各ボタンを使った視点変更なども、適当にいじっているうちに体感で覚えられるレベル。視覚的にパワーアップしたドラゴンクエストを、特に気負うことなく、たのしめる作りは、さすがレベルファイブというべきか、堀井雄二さんというべきか。素晴らしい完成度です。
同じプレイステーション2で発売されている『PS2版 ドラゴンクエストV』と比べられることが多く、批判対象としてゲーム展開のテンポの悪さが指摘されています。しかし、その指摘は不適切ではないでしょうか。本作は、サクサクと進めることを目的としていないからです。作業のようになっていた「今の街から次の街への移動」をドラマティックに楽しむためのゲームです。
かつて、RPGには無数のドラマがありました。それは、メーカーから与えられたストーリーではなく、ゲームの展開の中で、半ば偶発的に生まれたドラマです。
大した危機感もなく歩いていたら、強力なモンスターのナワバリに入ってしまっていた。戦闘を試みるが、まったく歯が立たない。逃げようとするが回りこまれてしまう。一撃が重く、仲間による回復が間に合わず、一人ひとりと倒れていく。一か八か、回復を諦めて残ったメンバーで攻撃に転じる。敵の攻撃は…ミス! ラッキー助かった!だが次の攻撃は無情にも命を奪っていく。最後の一人。願いをこめた攻撃選択。敵が先手を取ればおそらく最期。こちらが先手をとっても、その攻撃で倒せるかどうかは分からない。しかし、賭けるしかない。そんなときに画面に表示される「かいしんのいちげき!」 かろうじて敵を倒すことに成功した。しかし、パーティは自分しか生存者がおらず、回復アイテムもない。キメラの翼は買い忘れた。そして、ここは強敵のナワバリ。また同じモンスターと出くわす可能性も高い。祈るように棺桶を引きずって帰路につく…。
このような古き良きゲーム展開で起きるドラマを楽しむために、命を預ける仲間たちは3名のみ、パーティメンバーの変更もなし。いっしょに旅をする仲間という意識を高めさせるために、一人ひとりのキャラクター性(チビ・デブ・頭悪い、美人でセクシー、クールなイケメン)を前面に出したり、攻撃モーションなどを見せる仕様に変更したり、相談するといったコマンドを搭載しているのです。パーティメンバーを戦力という記号やデータで捉えるのではなく、血の通った仲間であることを意識させるための仕様なのはいうまでもありません。
大切なのは、仲間たちと旅をするというプロセス。このプロセスにどこまで入り込んでいけるかで、本作の評価は大きく変わるのではないでしょうか。

