【レトロゲームと俺物語】健康優良小学生と、ファミコンの出会いと、面白さを伝えることの話。

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人生が、もし、『弟切草』や『かまいたちの夜』のようなサウンドノベルだったとしたら。あの時、ファミコンに出会わなければ、今の自分は存在していなかった。そんな分岐点がたしかにあった気がする。

俺が少年期を過ごしたのは、関東平野の田園地帯が広がる埼玉県のとある新興住宅地だった。某電鉄系の不動産会社が100棟単位の大分譲地を作った、1970年代の埼玉県の片田舎ではそんなに珍しくない場所で俺は育った。俺が子どもの頃は、分譲地は作られている最中だったので、家の近くには、まだ売買がされていない区画が空き地として残っていたし、家からちょっと離れたところにはこれから分譲地を拡げていくためにある程度整えられた荒野みたいな土地があった。

そんな人がこれから集まるぞって町だったので、同級生がたくさんいた。大分譲地の開発によって急激に人が増えた町だったから、学校も急いで校舎の増築をしていたのだろう。俺が通っていた小学校は、尋常小学校時代の木造旧校舎(『学校の怪談』や『学校であった怖い話』に出てくる旧校舎を思い浮かべてくれればいい)と、最新式の新校舎が隣り合って建ち並ぶ、そんな学校だったのだ。

小学校時代の俺は、「優等生」の分類に入っていたと思う。学校のテストは勉強しなくてもいつも100点採れていたし、特殊学級にいる生徒とも何の偏見もなく遊んでいた。俺は別にそうあるように振舞っていたつもりはなかったのだが、まわりが勝手に評価してくれた感じだったのかもしれない。そのせいか、友だちの家に遊びに行くと、どの家庭の母親も俺を歓迎してくれた。要は、クラスの人気者だったのだ(このころは(笑))。

「ジョーンズくん、ファミコンやらない?」

小学三年生のある時、遊びに行った先でヤマザキくん(仮名)が俺に聞いてきた。「ファミコン?」と俺は聞き返した。ヤマザキくんは嬉々として語る。「従兄が持っててさー。僕もずっと欲しかったんだけど、全然手に入らなくて。この間、やっとお父さんに買ってもらったんだ」。そういって、ヤマザキくんはテレビテーブルの観音開きのガラスドアをあけて、中からシルバーの箱を取り出してきた。「任天堂 ファミリーコンピュータ」と書かれていた。その箱をひょいと開けると、中から白と赤のおもちゃが出てくる。コントローラーが横にかちんと固定されているのがカッコイイと思った。

「いろんなゲームがあるよ」

ヤマザキくんは、テレビテーブルの奥から何かを出してきた。水色、緑、赤、灰色のカセットだ。このカセットを挿しかえることでいろいろなゲームで遊べるという。実は、ファミコンの前に似たようなゲームで遊んだことはあった。たしか、カセットビジョンだったと思う。その時に遊んだゲームが何かは覚えていないのだが、その時の俺には面白さがよく分からなかった。そのため、ビデオゲームにはあまりいい印象がなかった。そのため、ヤマザキくんには悪かったけど、ファミコンで遊ぶことにその当時の俺は乗り気ではなかったのだった。

ところが、だ。

ファミコンのゲームは面白かった。遊んだのは、『ロードランナー』『ドンキーコング』『マリオブラザーズ』だったと思う。面白かった。すっごく面白かった。俺は自分の両手を使ってコントローラーでテレビの中のゲームキャラを動かすことに熱中した。気がつけば、日が暮れる時間になっていた。もうすぐ帰らなければならない。そんな時間になって、ヤマザキくんは「とっておきのゲームをやらせてあげる」と言った。それが、『スーパーマリオブラザーズ』だった。

俺が受けた衝撃は大きかった。『スーパーマリオブラザーズ』は本当に『スーパー』な『マリオブラザーズ』だった。敵キャラに対して攻撃ができる。ブロックも破壊できる。ダッシュして走ることができる。助走をつければ大ジャンプだって可能だった。なんというか、当時のゲームのキャラクターを動かす制約すべてから解き放たれたような自由さが『スーパーマリオブラザーズ』にはあったのだ。その日、サッカー少年だった俺は、ゲーム少年になった。トリコになってしまった。

カセットビジョンでは夢中になれなかった俺が、なぜ、ファミコンで夢中になったのか。

カセットビジョンをディスるつもりはない。おそらく、ヤマザキくんの存在が大きかったのだと思う。ビデオゲームの面白さを伝えるには、ただ近くで遊べばいいわけではない。文脈を教える必要があるのだ。この文脈とは、「ビデオゲームを知らない人間にビデオゲームとはこういうものだ」を分からせるということ。これが結構大事だと思う。ヤマザキくんは、本人は意識していなかったと思うのだが、ビデオゲーム初心者の俺にそれを行なってくれたのだ。『ロードランナー』『ドンキーコング』『マリオブラザーズ』というゲームのチョイスもよかった。プレーヤーがやるべきことが分かりやすく、ゲームバランスも親切設計であり、初心者がとっつきやすい作品だったと思う。だから当時の俺は、遊びながらビデオゲームの面白さを学びつつ、感じられるようになった。カセットビジョンで遊んだ時には、そのような環境がなかった。その差だったのだと思う。

これが、幼いころの俺がファミコンと出会ったときの話。そして、ゲームで遊ぶことよりも、その面白さを他の人に伝えたいというレトロゲームレイダーとしての自分の原点でもあった気がする。

人生が、もし、『弟切草』や『かまいたちの夜』のようなサウンドノベルだったとしたら。あの時、ファミコンに出会わなければ、今の自分は存在していなかった。そんな分岐点がたしかにあった。

【まとめ】『レトロゲームと俺物語』シリーズ記事まとめ
この記事は、レトロゲームファンの管理人がこれまでの人生でレトロゲームとどう関わって生きてきたかのエヒソード記事をまとめたものです。
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