【良作発掘】『グラディウスIV 復活』――いわば、Traditional guardian 1999。

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挑戦者は、
伝統の守護者として復活。
 
ゲームセンターは変わってしまった。かつては不良のたまり場だった場所は明るいライトで照らされ、女子高生がプリクラを撮るために集まるような場所に。オタカッコイイという、よく分からない人種が音ゲー・ダンスゲーに群がる。それはそれで楽しいのだが、あの時に感じた魅力が消えてしまったのも事実だ。

煙草の煙が漂う薄暗いスペースの中で、デジタルな絵と合成音がさまざまな世界を描いていたあの時代。狂気と退廃の空間の隅で、見たことがない宇宙を描いたあの作品が終わって10年。それは突然あらわれてこう私に告げた、「復活」と。

初プレイは、10年ぶりの同窓会に参加するような感じだった。しかし、再会したグラディウスは、思い出の中にあったソレとはちょっと違っていて…。おや? あれ? 心の中に膨らんでいくモヤモヤの正体は一体何なのだろうと悩んだ1999年でした。

さあ、今宵も、歴史に埋もれしレトロゲームの魅力を紐解いていこう――。






ブログ代表
こんばんわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。

今回発掘した作品は、1999年にアーケードゲームとしてコナミよりリリースされた、名作シューティングゲーム『グラディウス』のナンバリングタイトル『グラディウスIV 復活』。宿敵バクテリアンとの最終決戦を描いた『III』から約10年を経て復活を遂げた作品でした。


一般的な評価と個人的な評価
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本作は、賛否両論の激しい作品。ネット上に数多あるレビューを見ると、「クソゲーだ!」「シリーズの面汚しだ!」といった意見や、「ていねいに作られたいい作品だ!」「正統続編だ!」といった意見など、さまざま。どの意見を信じたらいいのか分かりません。なぜ、これほどまでに意見が分かれるのでしょうか。

個人的な感想をのべさせていただきますと、「『グラディウスIV』には心底ガッカリ!」させられました。

どこが気に入らないかというと、ざっくり言うとダサいところです。端的にいえば、敵やボスのデザインとグラフィックと、ステージのアイデアとグラフィックと、演出全般が、『グラディウス』と名乗ってほしくないくらいセンスが悪い。赤点だと思っています。

シューティングゲームとしての内容は、過去作をよく勉強したクローンソフトレベル

音楽はとても良かったです。名作ナンバリングタイトルということでプレッシャーも大きかったと思いますが、見事に期待に応えるカタチで、新しいグラディウス音楽を作り出していると感じました。

これで、ほとんど言いたいことは言ってしまっているのですが。なぜ、こんな気持ちになるのかというと、『グラディウス』の過去作品って、敵やボスのデザインとグラフィックと、ステージのアイデアとグラフィックと、演出全般が、キャッチーだったと思うのです。

誰も見たことがないものをゲームセンターで見せつけていたのが、『グラディウス』であり、『GOFERの野望』であり、『伝説から神話へ』だったんだと思います。それらと比べてしまうと、『グラディウスIV 復活』って、やっぱり凡作なんですよね。

開発時の目的の高さが違うというか、「新しいモノを作ってやろう!」という姿勢で作ったゲームと、「グラディウスを作ろう!」という姿勢で作ったゲームの違いというべきでしょうか。もちろん、社内開発力という一面もあると思いますが、それ以前のところでなるべくしくなった結果という印象があります。


『パロディウス』が悪い
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『グラディウスIV 復活』がこんなことになってしまった理由の1つは、『パロディウス』だと思っています。

『パロディウス』とは、MSXというホビーパソコンで発売されたパロディ版『グラディウス』のこと。コナミのプログラマが『グラディウス2』のプログラムをもとにふざけて作ったシューティングを、少し力を入れて完成品にしたという逸話がある作品であり、後にアーケードに逆移植されて『パロディウスだ!』というタイトルでゲームセンターデビューしました。

『パロディウス』はそのふざけた名前の反して、ナンバリングタイトルを肩を並べてもおかしくないほど出来のいいシューティングゲームであり、アーケード版『パロディウスだ!』も同じくという存在でした。『パロディウスだ!』は事実上のグラディウス4だった、と言えなくもないでしょう。

『パロディウス』シリーズの厄介なところは、外伝的な位置づけという立場を利用して、エッジのきいた先進的なことのやりたい放題というところ。「誰も見たことがないものを見せてやるぜ」という本家グラディウスシリーズの精神を受け継ぎ、失敗しても「外伝だから」で許される。それが、『パロディウス』シリーズという存在だったのです。

だからこそ、『グラディウスIV』はグラディウスとして先進的なことをやろうとするなら、『パロディウス』シリーズがやってきたこと以上のことをやらなければ、「それ、『パロディウス』で見た!」になってしまうわけで。もともと期待値というハードルは高くなっていたと思います。


シリーズの未来を見る目がなかった
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とはいえ、ディレクターに「グラディウスシリーズの新作としてあるべき姿」が見えていなかった疑惑は拭えません。ぶっちゃけ、社内事情(人系の話)がいろいろ絡んでいそうではあるので。

ただし、ここではそっち方面のどうしようもなかった的な話は一旦考えず、ディレクターはどこまで考えて作るべきだったのか的な理想論の話をしていきます。

みなさんは、なぜ、『グラディウス』に「モアイ」があるのか、ご存知ですか。

それは1985年当時、オカルトブームの余波の中で、「イースター島にある謎の石像モアイは、実は宇宙から来た宇宙人によって作られたもの」という前提知識が、開発者にもプレーヤーにもあったからです。だから、宇宙を感じさせるシューティングゲームにモアイが出てきて、口を開いてイオンリングを出すというステージギミックが、「モアイって宇宙人の兵器だったんだ!」という理解につながって萌え要素になっていました。

「ここでこれを選ぶか!」という感性の鋭さ。『グラディウス』って、こういったセンスの良さに支えられていた作品だったんです。

ここからは悪口みたいになりますけど。私はステージ1のBOSSヨロガトン・キメラを見たとき、「こりゃ、ダメだ」と思いました。1999年の時点で、ガメラとキングギドラを足して2で割ったようなデザインのどこに萌えろというのでしょうか。たしかに、金子監督の『ガメラ2 レギオン襲来』は名作です。そこから着想を得たとしても、ガメラの萌えポイントはそこじゃねえだろうと。

本作のBOSSデザインは、すべて過去作をベースにしたものばかり。ザクをお手本にしてザク高速機動型を考えてるようなもので。ザクの構成要素を踏まえてギラ・ドーガを見せてくれ的な期待にまったく応えられていないのです。

『グラディウスIII』よりも先、2Dアーケードシューティングゲームの「未来」が本作には見えませんでした。プレイステーションで発売された『グラディウス外伝』という作品がありまして、こちらも「未来」は作れていないのですが、過去作の萌えポイントはいい感じで押さえられているため、”分かっている”ということで、あちらのほうが評価が高くなってしまいます、個人的に。


じゃあ、悪い作品なのか
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というと、そんなことはなく、平均点以上のよくできたシューティングゲームです。先入観なくプレイすれば、本作が1999年というシューティング人口が少なくなってきた中で、弾幕系シューティングプレイに慣れたプレーヤーでもとっつきやすいように、従来の学習前提なゲームデザインを緩和しているところにも気が付くでしょう。

派手さはないけど、きちんとした仕事で伝統を守っている。いわば、Traditional guardian。『グラディウスIV 復活』はそういう作品なのです。

本作を面白いと遊べる人は、ヘンなフィルターに惑わされることなく、この作品の面白さのコアを知っている人だと思うので、それは誇りに思うべきでしょう。何も間違っていません。

ただ私の場合、過去作のスゴさを目の当たりにしたクチなので、本作の落ち着きすぎた感じには物足りなさを感じてしまうのです。


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