
はじめに
こんにちは、レトロゲームレイダー/ジョーンズです。
今、もう一つのブログのほうで、『ヘラクレスの栄光II タイタンの滅亡』のゲームプレイ日記を更新しています。そこで気がついたことをつらつらーと書いてみたいと思います。
ヘラクレスの栄光IIプレイ日記
なぜ、昔のRPGをやる気になったのか
俺のブログのゲーム紹介記事って、RPGがあんまりないんですよ。なぜかというと、RPGってプレイに時間がかかるじゃないですか。俺のブログ運営は本業の忙しい合間にちょこちょこやっているので、作業は大体深夜だったりするので、ぶっちゃけ、RPGのプレイってきつかった、というのがあります。
なので、学生時代はほとんどRPGしかやらない人間だったのですが、いつの間にかアクションとかシューティングばっかりやるようになったんですね。気がつくと15年くらいそんな日々が続いていまして。それも不自然だなーと思って、「RPGをやろう!」と思ったのです。
『ヘラクレスの栄光II』は小学校の頃にプレイしてクリアしていて、社会人になってから某所のブックオフバザールでカセットが売っていたのを買って、「いつかやろう」と思いつつ、放置しつづけていたんですね。んで、「今がその時だ」と思ってプレイし始めた次第です。
昔のRPGは「ながらプレイ」を許さない
いや、「〇〇しながらプレイ」できるんだけど、スイッチとかPS4のゲームに比べると、ゲームに集中しないといけない度合いが大きい、と感じました。これはですね、たぶん、表示されるテキストを読まないといけない比率が、昔のゲームのほうが圧倒的に多いからだと思うんです。
そもそもコンピュータRPGって、ボードゲームやテーブルトークRPGのコンピュータ化ってところをスタートにしていると思うのですが、そこでも必要なのはテキストです。当時のハードウェアが性能としてグラフィックに弱かったというのこともあり、「テキストで伝える」に頼っていたのでしょう。
つまり、表示されるテキストを読んで、画面内で起きていることを想像することで、ゲームを楽しめる、という作りになっているのです。
スーパーファミコン以降の作品になってくると、テキストを読まなくても、アニメーションやエフェクトによって、画面内で起こっていることがプレーヤーには感覚的に分かる作りになってきます。「テキストを読んで想像して」という部分がいらなくなってくるんですね。
これはどっちが正しくてどっちが悪いという話ではありません。ファミコンのRPGは、そうやって楽しむことを前提に作られているのでそうやって楽しむもの、という作法みたいなものですかね。小料理屋の板前さんが「ワサビといっしょにお食べください」と言ったら、別にワサビといっしょじゃなくても食べられるのだけど、その料理について一番くわしい人が一番美味しいという結論に達したのだから、ワサビといっしょに食べるのが最適解だろう…という話です。
おや、分かりやすい例を出したつもりでしたが、逆に分かりにくくなってしまったですかね(笑)
とにかく、「テキストを読んで想像して」という部分が含まれるファミコンRPGは、それなりに向き合ってプレイしないといけなくなるので、「ながらプレイ」だと面白さを味わいにくくなる、と思いました。
結論、現実逃避にとても良い
ゲームに向き合ってプレイするということは、ゲームに集中するということですね。それはつまり、現実逃避になる、ということでした。
いいですよ、ファミコンRPG。いい現実逃避になって、リフレッシュできます。今のゲームに比べると、ぶっちゃけ、「不親切」なところは多いです。でも、「不親切」というのは解釈の1つでしかないと俺は思っていて。例えば、ボードゲームにおいて「都度ダイスを振る」というのも面倒くさいか面倒くさくないかといえば面倒なんですよ。でも、その面倒なプロセスがボードゲームの醍醐味だったりするじゃないですか。そういうことだと思うんですね。
押し入れの中にしまっているファミコンRPG。立ち上げるのはちょっとしんどいところはあるかもしれませんが、やってみたら意外といい現実逃避になるかもしれませんよ。

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