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こんにちは、レトロゲームレイダー/ジョーンズです。
今回は、タイトルの通り、「レトロゲームの魅力の1つ――ゲームの分かりやすさについて思うこと」について、ダラダラと話してみたいと思います。この記事で「ゲーム」として話しているのはコンピュータゲームのことと思ってください。
長い前フリ
「ゲームにパッケージが必要か否か論争」というものがあります。その名の通り、「ゲームはパッケージがあったほうがいい!」という人と「ソフトの取り出しが面倒くさいのでダウンロードでいいんじゃない?」という人がいるという話です。
どちらが正しいという問題ではありませんが、現在の家庭用ゲームはパッケージソフトはなくしていく方向に進んでいます。その顕著な例が、紙の説明書がなくなったことでしょう。ゲームのパッケージは昔のゲームほどその存在価値を無くしつつあり、この動きは意図的に作られているものです。
俺個人もモノにはこだわらない人間なので、レトロゲーマーとしては少数派かもしれませんが、実機とかカートリッジという形態にそこまで執着がなく、むしろ、すべてダウンロード化してくれると嬉しいと思っている人間です。ゲーム会社に勤務していたことも、小売業で働いていたこともありますが、ゲームは作った会社に利益がきちんと行く仕組みにならないと市場がシュリンクしてしまうという考えと、ソフトの入れ替えとソフトのプレミア化が面倒くさいという思いが、そこにはあります。
さきほど少し触れましたが、俺は「ゲームに説明書はいらない」と思っているんですね。それもダウンロード化を推す理由の1つかもです。そう思うのも、「ゲームは、説明書を見ないと遊びかたが分からないというのはアカン」と思っているからです。
分かりやすさこそ重要!
ゲームとは娯楽です。ヒマをつぶすものです。だから、ゲーム中に悩ませたり考えさせることはあっていいのですが、ゲームをやり始める段階で悩ませたり考えさせることはあってはいけません。なぜなら、「面倒くさい!」とゲームを投げ出される選択肢を作ってしまうからです。ゲームなんてやらなくていいものなのですから、「やらない」という選択肢が生まれやすいわけです。
なので、ゲームには分かりやすさが重要であり、「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」ある種のコミュニケーションの仕組みが仕込まれています。レトロゲームの魅力の1つは、「ゲームが分かりやすい」というところにあると言えるでしょう。
…というようなことを書くと、「いやいや、分かりにくいレトロゲームだっていっぱいある!」という反論が出てくると思います。実はその通りです。その通りなのですが、分かりにくいレトロゲームはクソゲーというレッテルを貼られている確率が高い。なぜか。その理由は、「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」というコミュニケーションに失敗しているからです。それは「伝えること」に失敗している場合と、「面白いを作ること」に失敗している場合があると思います。
分かりやすさとは、コミュニケーションだと思うんですね。
アーケードゲームはコミュニケーションの戦争
「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」というコミュニケーションが非常に優れている(考えられている)のが、アーケードゲームです。
なぜなら、当時のゲームセンターにおけるプレーヤーとゲームとの出会いは一期一会。今のようにネットやSNSが発達していませんから、ゲームに関する事前情報なんてほとんどないわけです。そんな人たちに一目見て「面白そう!」と思わせる。100円というお金を使うという行為に走らせる。それだけのアピールをしなければならないのが、アーケードゲームでした。だから、どんなゲームなのか分かりやすいデモがあり、面白さも分かりやすいシステムや演出が意図的に作られていました。
昔のアーケードゲームには、有名映画のパロディみたいな敵とか主人公とかたくさん出てきていますよね。これは著作権・肖像権にうるさくなかった時代の産物ですが、分かりやすさの工夫でもあったんですね。
例えば、『コマンドー』や『プレデター』に出てきたアーノルド・シュワルツェネッガーによく似た軍人がグレネードランチャーを持っていて、『エイリアン』に出てくるようなギーガーっぽい敵がワラワラ出てくるゲームだったしたら、『コマンドー』『プレデター』『エイリアン』という映画の知識から「ああ、ああいう感じのゲームなのかぁ」とイメージが湧きやすいわけで。こうやって、既存作品のイメージを利用することが今では問題になっているわけですが、まあ、早い話が、分かりやすかったわけですよ。
家庭用ゲームはコミュニケーション不全が起こりがちだった
では一方、家庭用ゲームはどうだったかというと、コミュニケーション不全が起こりがちだった部分はあるかなと思います。
ファミコンを例にあげると、黎明期から名作をポンポン作っているメーカーって、アーケードゲームを作っている会社が多いと思うんですね。そこには、アーケードゲーム開発で培われた「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」というコミュニケーションのノウハウが、このままの言葉ではなかったと思いますが、培われてきていて家庭用ゲーム開発チームにも共有されていたんじゃないかなと想像しています。
一方で、ファミコンに参入したもののヒット作に恵まれなかったゲームメーカーの傾向に、PCゲーム出身のゲームメーカーがあるとも言えるのではないかと。これは主観入っているので、それ前提で聴いていただきたいのですが、当時のPCゲームって「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」コミュニケーションがあんまり上手くない作品が多かったと思っています。それは、PCゲーム開発を取り巻く環境に原因があったと思っていて。当時のPCユーザーってそれなりに年齢が高くITリテラシーも高く、PCゲーム自体が少なかったので前のめりになって遊んでくれるユーザーが多かった。理解力が低くすぐに投げ出す子どもがメインターゲットだったファミコンでゲームを作る際、「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」コミュニケーションで失敗している例ってすごく多い気がするんです。
スクウェアがいい例で、『ファイナルファンタジー』が転機になっていると思います。『ファイナルファンタジー』前のスクウェアのファミコン作品って、面白いんだけど面白さが伝わりにくい作品が多くて、逆に『ファイナルファンタジー』後の作品って、面白さのアピールが上手くなっている。ビジュアルに力を入れたという話がよくありますが、ビジュアルは分かりやすいコミュニケーションの手段の1つに過ぎないんですよ。
面白い例がセガですね。セガって、「広告マンのいないHONDA」みたいにところがあって。アーケードゲームで名作をいくつも作っているのですが、ユーザーとのコミュニケーションがちょっと特殊だと俺は思っていて。技術力の高さがすごいことをやってプレーヤーの頭をガツンとやって魅了する作風なんですよ。極端な話をすると、ゲームとしてはそんなに面白くないんだけど技術力が凄くて「うへぇ!」となる作品が多くて。それを家庭用に移植するとハードスペックのせいでアーケードゲームほどのインパクトが出せない。それでも「そのハード性能でよくそこまでやった!」ということを家庭用でもやっちゃうので、分かる人には分かるんだけど、分からない人のほうが多い。…というのが、コミュニケーション技術から見たメガドライブ前のセガの弱点だと、俺は思っています。
レトロゲームの名作とクソゲー
レトロゲームで名作と言われている作品に共通しているのは、「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」コミュニケーションが上手くいっている作品です。
隠れた名作といわれているレトロゲームは「面白さを伝える方法は上手くないけど、面白さをきちんと考えられている作品」で、クソゲーと言われている作品は「面白さの伝え方が下手だし、面白さ自体も作れていない作品」なのかなーと考えています。
『ドラゴンクエスト』を手がけた堀井雄二さんの何が凄いのかをもっとも端的に言うと、「『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の面白さを分かりやすくした」というところだと思います。ゲームにおいて遊びかたの分かりやすさは正義であり、分かりにくさは悪なのです。
なので、極論を言ってしまえば、取扱説明書を必要としないことこそが娯楽としてのゲームの目指すべき道なのだと俺は思うわけです。
ところがですよ。ゲームも多様化してきて、「説明書と睨めっこしながら遊ぶ」というスタイルが許された、認められた時代のゲームもあったりします。プレイステーション1やプレイステーション2あたりには、そんなゲームがたくさんあった印象があります。しかしそれは、ユーザーがそういう遊びかたを許してくれていたという背景があってはじめて成立するスタイルです。
先にPCゲームメーカーの話でユーザーのゲームへののめり込み度によってはコミュニケーションで求められることが違うという話をしました。プレイステーション1やプレイステーション2の時代って、時間つぶしの娯楽としてゲームがかなり上位の位置にいて、スマホもなかった時代です。今、「説明書と睨めっこしながら遊ぶ」というスタイルが受け入れられるとは思いません。つまり、時代の流れによって、今では修行といえるプレイスタイルが求められるゲームになっているということ。こういうことが、「レトロゲームの魅力は分かりやすいこと」とひと言では言い切れない状況を作っていたりします。
では、今のプレイスタイルで遊んで楽しくないものはゲームとしての価値がないのかというとそれはそれで違うと思います。若い人たちがレトロゲーム実況をしていてクソゲーとカンタンにレッテルを貼っているものの中には、プレイスタイルの変化によってコミュニケーション不全を起こしてしまったものもあるのではないでしょうか。
結論
長々と語ってきたのですが、最近のゲームから取扱説明書がなくなっているということは、ゲームメーカーが「直感的にどう動かすのか、何が面白いのかが分かる」というコミュニケーションと向き合っている方向性でもあると思うんですよね。
俺たちが小さいころにゲームで遊ばない時間に取扱説明書を読んで思いをはせたのは、他に何もなかったからの話で、今の時代には求められていないことだし、必要ないものなのかもしれません。少し寂しい話ですが、ノスタルジィだけで語れる話でもないのも事実。いろいろ話してきましたが、ゲームは分かりやすいことがやっぱり一番大切だと思います。

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